+恋のコトワリ+

「君とはつきあえない」

 彼はきっぱりとした口調で、揺ぎ無い信念を持ったようにそう言った。まるでNHKに好まれて出てくるような、校則を一ミリ足りとも破ったことはありません、というような髪型と標準そのままの学生服で、「日本の福祉制度は間違ってます」と主張する中学生みたいに、それが正しいことだと言わんばかりに。
カワイソウなそのオンナノコは、相当な勇気を出して顔を真っ赤にして告白したのに、見る見る表情を曇らせて、大きな涙はぽろぽろとその真っ赤な頬に落とした。
「それじゃ、部活あるから」
彼はそれを見ても全く表情を変えずに、とても良い姿勢のままくるっと彼女に背を向けた。180度、まるで分度器で測ったように正確に。僕は彼のその立ち居振舞いに、テレビで紹介されていた外国の軍隊を思い出す。
彼は「つきあえない」という言葉の前に、「申し訳ないけど」とか、「悪いけど」と言った言葉をつけなかった。「部活で忙しいから」とか、「好きな人がいるから」とか言う類の、つきあえない理由もつけなかった。
「君とはつきあえない」という言葉は、なかなか残酷な言葉だと思う。
君だからつきあえない、という言葉を好きな人に向けられたら、そりゃ泣くしかないよね、と僕は心から彼女に同情した。

「もうちょっと言い方があったんじゃないの?」
僕は、部室で彼と二人きりになった時、そう言ってみた。
「何の話だ?」
彼は全くこちらを振り向かず、ロッカーに向かったまま着替えを続行していた。
彼は大体において、「言い方がまずい」ことが多くて、他人にそう言われることも多いだろうし、身に覚えが在りすぎて本当にどの話か分からないんだろうなぁ…と思った。
僕も何度か、手塚の言い方のまずさについて、これまでも"ご進言申し上げ"てきた。改善された部分もあるし、改善されなかった部分もあった。それが信念に反する場合は、手塚は誰に何を言われても絶対に聞かなかった。
「悪いけど、偶然聞いちゃったんだよね。君がオンナノコに告白されて断ってる所。
もうちょっと言い方あったんじゃないの?例えば「部活が忙しいからつきあえない」って言ってあげるとか、「申し訳ないけどつきあえない」とかさ。
あの言い方じゃ「君だからつきあえない」って言ってるようなものじゃないか。好きな人にそんな言い方されたら、もの凄く傷つくと思うよ」
「……別に、彼女が悪いからつきあえない訳じゃない」
「どういうこと?」
「俺とつきあっても、彼女が不幸になるだけだから、つきあえないって言ったんだ。大体ふる側が悪役になった方が、あとくされなく忘れられるだろう?だから、あの言い方で良いんだ」
僕はふーん、と思った。
少しは自覚があるんだ、と。
「じゃあ、あの言い方が君の優しさなんだね」
「あの言い方が「正解」なんだ。下手に優しい言葉をかけて、気を持たせても仕方がないだろう?どうせつきあったって、数週間もすれば、向こうから別れようって言ってくるんだ。
どうせ、俺はつまらない男だからな」
彼はそう当然のように言った。確かに彼は恋人にするには、理想とは程遠い人間だった。
彼は勉強が出来て、運動が出来て、大抵の社会事情に関して詳しいし、本も良く読んでいて、聞けば何でも知っているけれど、その代わり、世俗にはもの凄く疎かった。流行の音楽もテレビも映画もブランド物も美味しい店も全く知らなかった。彼の家には昔からテレビがなく、おじいさんとお父さんが集めた古い本だけは沢山あった。
彼を見ていると、神様は彼にニ物を与えた訳でなく、人は一律に一日24時間で、知れることには限度があるのだな、という自然の摂理みたいなものを僕に学ばせた。
確かにデートに出かけて、社会や経済の話を延々としてもオンナノコは退屈するだろう。彼は大体が普段から仏頂面だし、ご飯を食べる時だって、「美味しそうに」食べることが出来なかった。彼は何を食べていても、とても不味そうに、もしくは味なんてしません、という顔で食べた。そして良く黙り込んだ。彼は、いつまで沈黙が続いても全然平気なのだ。
確かに彼はハンサムで、学ランが似合って学校ではとても目立つけれど、お世辞にも私服のセンスが素敵だとは言えなかった。どちらかというと服装には無頓着だった。顔が良くて背が高くてバランスが良いから、二割増しで見えたとしても、お世辞にも連れて歩くだけで自慢できる、という所までは程遠かった。
手塚はテレビも持っていなければ、ビデオも持っていないし、漫画も読まないし、CDだって持っていなかった。彼が持っているのはお父さんのお下がりのレコードプレイヤーと真空管アンプのオーディオセットだ。
手塚の家にはお父さんのコレクションで、なかなか質の良いジャズのコレクションがあって。ジャズファンには垂涎もののレコードが何枚もあった。僕が聞きたいと思うものがあっても、僕の家にはレコードプレイヤーがなかったので、何度か彼の部屋でそういったレコードを聞かせてもらったので、僕は手塚と同じ空間に長時間いることに慣れてしまったけれど。
大抵のオンナノコは手塚と長時間、同じ空間にいるだけで息が詰まってしまうだろう。彼はけして意地悪な訳ではないので、自分の見たことのないテレビの話も映画の話も黙って聞くだろうけれど、好奇心旺盛とは言い難いので、その話に食いついてはこない。ただ黙って聞くだけなのだ。そこにいるだけなのだ。
僕は、手塚が「今時の普通のオンナノコ」とどういう会話をするのか全く想像が出来なかった。手塚自身も全く想像が出来ないのだろう。一人っ子で姉も妹もいない、色気のない生活を送る部活少年の手塚にとって、多分今時の普通のオンナノコは、言葉の通じない異星人だろうなぁ…と思った。

「なるほどね」
僕はしみじみと頷いた。彼は返事をせず黙々と着替えを続けていた。
「じゃあさ、例えば僕が「君に好きだ」と言ったら、なんて言うの?」
僕はそう冗談っぽく言った。僕はあまり手塚が自分のことを大したことない、みたいに言うのは好きではなかったのだ。手塚の言葉に自分の意志というものが、まるで含まれていないことも気に障った。だから僕は彼が自分の意志で嫌だという時、どういう言葉を選ぶのかが気になったのだ。
「そうだな…」
彼は少し黙って考え込んだ。
「じゃあ、つきあうかって言うかな」
「なんで?」
僕は苛立ってそう聞いた。
「お前なら良いかな、俺でも」
なんだそりゃ、と思った。それは僕なら良いってことじゃなくて、僕なら自分がつまらない男でも、良いだろうってことなのだ。僕は馬鹿にされたような気がしたし、そして手塚がそんな風に自分を卑下するのも気に入らなかった。
「ふーん。そう。じゃあ、つきあおうよ。僕は君のこと好きだよ。嫌だなんて言わないよね」
僕は怒ったように言った。
「分かった」
手塚は相変わらず、僕に背中を向けたままそう言った。
「じゃあ、今日は一緒に帰ろう。つきあってるんだから」
「分かった」
手塚はそう言って、バタンと音を立ててロッカーを閉めた。
僕は相変わらずイライラして黙って怒っていた。僕達はそうして黙ったまま、僕がターミナル駅で、バスを途中下車するまで一緒に帰った。結局、僕達はなに一つ会話をしなかった。告白して、つきあいましょう、はいいいですよ、と言って、こんなつきあい方があるかよ、と思った。
僕は手塚と別れる時、
「勿論、明日からも一緒に帰ってくれるよね。つきあってるんだから」
と嫌味たっぷりの口調で言った。それでも張り付いた笑顔で言った。僕の顔は大体、普通にしてても柔らかくできていて、怒ったようには見られないのだ。その顔で損をしたことはなかったけれど、今回ばかりは損だと思った。
「分かった」
手塚は、表情一つ変えずにそう言った。僕はバスを降り、手塚の乗ったバスの姿が消えてから、黙って地面を蹴っ飛ばした。

 

 それから僕達は毎日、一緒に帰り続けた。さすがに怒ってばかりはいられなかったので、翌日からは普通に会話をするようになった。僕は三年生が夏の試合で引退し、部長になったばかりの手塚が、雑務を終え部室の鍵を閉めるまで毎日待っていた。今までも時間が合えば途中まで一緒に帰っていたので、その回数が増えたというだけだった。
手塚にとってなんなんだろう、つきあうってことは。
僕は手塚に好きだと言われたことがなかった。僕達は同性なので、二人で帰る時も手が繋げるという訳でもなかったし、部室で二人きりになっても、「良い雰囲気」にもならなかった。ただ一緒に帰る回数が増えただけだ。
手塚は僕から「別れよう」と言い出すのを待っているのかもしれない。そんなのまっぴらごめんだった。
だって、誰でもない僕自身が、手塚から「別れよう」って言われるのを待っていたのだ。手塚自身の意思で。僕は手塚の意思のある言葉を聞きたかったのだ。
我慢勝負みたいだと思った。絶対に負けないと思った。僕は我慢強さには自信があるのだ。僕はありがたいことに恋愛方面に関しては暇だし、中学の残された一年半くらい、手塚につきあうことになっても別にいいやと思った。

 

 そうして僕達は部活の後、一緒に帰り続けた。手塚と別れるターミナル駅のあるバス停で降りる時、ふと、
「そうだ。定期があるんだから。たまには、手塚も途中下車して一緒にお茶くらい飲もうよ」
と言ってみた。手塚は返事をしなかった。
「僕達つきあってるんだから、いーじゃん。たまには学校帰りにお茶くらい飲んでも」
僕がそういうと、手塚は黙って襟についている校章を取った。僕が首をかしげると、
「お茶を飲んでいくんだろう?」
と言った。
「どうせなら落ち着いて飲みたいだろう。補導されたらかなわん。校章をはずせば、どこも同じ学ランなんだから高校生に見えるだろう」
手塚は冷静な顔で言った。部活が終わるのが遅いので、時間は八時近くになっていた。校章は中等部と高等部で色が違っていて、中学生はすぐに中学生だと分かるようになっていた。
僕も校章を外してポケットに入れた。そして途中下車して、お茶を飲んだ。最初、スターバックスに入ろうとしたのだけど、店内はとても込んでいて手塚が眉をしかめたので、僕達はひなびた喫茶店に入ってコーヒーを飲んだ。
「手塚、コーヒーは好き?」
「良く飲む」
「スターバックス、手塚、入ったことないでしょ。いつも無茶苦茶込んでて座れないけど、結構美味しいんだよ。種類もいっぱいあって楽しいし」
「コーヒーは、落ち着いた場所で飲むものだ」
手塚はため息をついて行った。沢山並んで、立ってコーヒーを飲むという作業を、想像するだけでうんざりするのだろう。
「だからさ、今度は昼間に行って、公園にでも座って飲めば良いんだよ。ゆっくり。僕が並んで買ってきてあげるからさ」
「別にそこまでしなくても……」
「僕が手塚に飲んで貰いたいんだよ。自分が美味しいって思うものは、人に飲ませて感想を聞いてみたいじゃない。良いだろ?」
「分かった」
手塚は無表情のまま頷いた。
「今度、土曜日はいつが休みだっけ?」
日曜日は練習試合で潰れてしまうことが多かった。月に二回の土曜日の休みは、学校指導の問題上、部活や試合を入れられることはなかった。
「楽しみだな。手塚とデートだ」
僕はそう可愛らしく言ってみた。でも手塚は全く表情を変えず、返事もしなかった。
「調べとくね。近くにスターバックスがあって、落ち着いた公園がある所」
僕はニコニコ笑顔を浮かべながら、あーあ、と思った。

 そして二週間後の学校が休みの土曜日、僕と手塚は待ち合わせして目黒駅に降りた。僕はニコニコして、それはつまり悪巧みが成功するか?という意味の笑顔だったのだけど、土曜の昼のスターバックスはやっぱり満員だったけど、並んで、持ち帰りでコーヒーを買った。手塚は外で待ってても良いよと言ったけど、黙ってつきあって一緒に並んだ。
「どれにする?」
と聞いた。
「そうだな…。同じものを」
「僕が頼むの、キャラメルマキアートだよ。いいの?」
「なんだ、それは」
「結構、甘いよってこと。ラテにバニラシロップとキャラメルソースが入ってるんだ。甘いのそんなに得意じゃないでしょ?」
「じゃあ、甘くない奴」
「スターバックスラテでいい?」
「何でもいい」
彼はため息をつきながら投げやりに言った。人が沢山いる所で並んで、意味の分からない横文字のコーヒーを注文して飲むのは、彼のやり方ではないのだ。多分、彼はラテが何なのか分かってないし、それが何であるのかも関心もない。彼に関心があるのは、それが甘いか甘くないかということだけで、分かるのはそれが甘くないだろう(もしくは甘さは調節できるだろう)ということだけだ。
「キャラメルマキアートとスターバックスラテをトールで一つずつ、テイクアウトで」
僕が店員さんに向かってそう言うと、彼は黙って千円札を出した。少し待って、商品を受け取って、僕が手塚に自分の分のお金を出そうとすると、手塚は「いい」と言って受け取らなかった。
「つきあってるから?」
と僕がニコニコして言うと(それは勿論とてもイジワルな気持ちの笑顔なんだけど)、
「これくらいは」
とだけ言った。彼は圧倒的に言葉が少なく、大抵は単語でしか返事が帰ってこないので、彼と話していると辞書と話しているような気持ちになる。
「結構、歩くよ。冷めちゃわないように急ごう」
僕は進む方向を指差して、言った。手塚は何処に行くのかも聞かずについてきた。そういうことに関心はないのだ。

 

 僕が手塚とのデート場所に選んだのは、庭園美術館だった。庭園美術館は昔、皇室で使われていた建物を美術館として公開したもので、素敵な庭園に囲まれていて、その庭園を利用するにはお金がいるから人が少なくて落ち着いた場所だ。その庭園に、都内の小中学生なら無料で入れるのだ。
僕達は学生証を見せて、庭園に入って、ベンチに座った。
「後で、美術館も見ようね。今、アールデコとアールヌーボー時代のアクセサリーや調度品の展覧会をやっているんだ。招待券貰ったんだ」
手塚は返事をしなかった。でも嫌だとも言わなかった。黙って、きちんと手入れされた庭園を見ている。
「ねぇ、見て見て。じゃーん」
僕はわざとらしく、陽気にそう言って、鞄の中からランチボックスを出した。
「サンドイッチ作ってきたんだ~」
僕はただ手塚の反応を見るためだけに、前日から材料を用意して、朝早くおきてサンドイッチまで作ったのだ。ゆで卵に混ぜるパセリはご丁寧に生のものを買って、細かく刻んで。
「………辛くないだろうな」
「大丈夫だよ。君の分にはマスタード入れてないから」
僕は手塚が僕の作ったサンドイッチを、ラテと一緒に食べる所をじーっと見つめた。
「美味しい?」
どうせ言ってはくれないだろうから、そう聞いてみた。
「まずくない」
手塚はそう答えた。
「も~。せっかく手塚のために作ってきたんだから、美味しいって言ってよね」
僕はため息をついて言った。やれやれ。

 庭園は少し寒いので空いていたけど、美術館は込んでいた。アール・ヌーボーのアクセサリーは日本人にとても人気があるのだ。
僕達は人の隙間から、柔らかい曲線で出来た調度品や、植物や昆虫がモチーフになっているキラキラ光るガラスで出来たアクセサリーを見た。
「込んでるね」
「うん」
「人気あるよね。アール・ヌーボーとか、アール・デコって日本人に」
「元が日本のものだからな」
「元が日本のもの?」
「アール・ヌーボーやアール・デコに影響を与えたのは、日本から輸出された着物や浮世絵や掛け軸だ。日本人は、やはり何処かで日本の香りがするものが好きなんだろう」
「ふーん……」
手塚はやはり、物知りだった。
トンボやカブトムシをモチーフにするジュエリーがあった。
「花は綺麗だと思うけどさ、虫をモチーフにしたものはちょっとなぁ…。なんだかグロテスクだよね」
「それまで西洋では宗教的な理由で、生物をモチーフにするのがタブーとされていたんだ。虫は勿論駄目だけど、花もあまり良くなかった。多分、花を飾るのは「死んだものを飾る」みたいな意味があったんじゃないかと思う。
そのタブーがなくなってきたのがちょうどこの頃で、作家は積極的に今までタブーとされてきたモチーフで作品を作ったんだ、と言う説がある」
「それが、トンボのデザインのプローチとかになる訳?」
「そう」
「なるほどね」
僕はしみじみと頷いて、キツイ色をした曲線で出来た家具を見た。
「素敵だ、とは思うけど。部屋にはちょっと置きたくないね。大きすぎるし。実用的じゃないし」
手塚は同意も否定もしなかった。
「アクセサリーも必要ないし、花瓶くらいがちょうど良いな」
作品を全部見終わって、ミュージアムショップを覗いた。僕がポストカードを選んでいると、手塚はじっとそこで売られているガラス製品を見ていた。
「気に入ったの?」
「やはり、随分高いな」
「そうだねぇ」
現代に作られた、アールヌーボー調のガラスの花瓶は、三万円という値段がつけられていた。
「買ってやれないな。持ち合わせが全然足りない」
「はぁ?なにそれ」
「俺に買えって言ったんじゃないのか?」
「そんなこと誰も言ってないじゃん」
手塚って本当に訳わかんない反応をすると思う。
手塚はポストカードから、僕が気に入って他と比べて熱心に見ていた花のモチーフの花器のポストカードを選んで、
「これで我慢してくれ」
と言った。我慢も何もないんだけど。手塚は僕の返事を聞かずにそのポストカードを買って、僕にくれた。
「………ありがとう」
「色々世話になったからな」
つまり彼は、僕が作ってきたサンドイッチとか、僕が用意した美術館の招待券について言ったのだと分かるけれど、そういう時に「いろいろ世話になった」という言葉を使うのは不適当だろうよ、と思った。
僕は思いっきりため息がつきたかったけど、そこを意思で捻じ曲げて笑顔を作って、
「ありがとう。ずっと大切にする」
と言った。やれやれだ。

 それからも僕達は部活の帰りに一緒に帰り続け、数回、参考書や文房具を買うために手塚は途中下車し、お茶を飲んだりご飯を食べた。
テストがあって、練習試合も続いて忙しくて、それがら僕達は特別に遊びに行ったりはしなかった。
テスト前で部活がなくなる一週間前、僕は手塚の家に勉強を教えてもらいに行った。その度に僕がリクエストするので、手塚は僕が何を言わなくても、黙って勉強の邪魔にならない小さな音でジャズをかけてくれた。
部屋で二人きりでいても、別に妙な雰囲気にはならなかった。黙々と教科書を捲り、辞書を捲った。

「テストが終わるとクリスマスだね」
手塚が勉強している時は、返事をしないことは分かっていて、僕はそう言った。
「でも平日だし、23日の祝日は練習試合が入ってるし何にもできないね。そうだ、プレゼントを交換しようよ。中学生らしく、予算は1500円以内で」
手塚は教科書から顔もあげなかった。
「OK?」
「分かった」
本当に聞いているのか聞いていないのか、手塚はそう答えた。
「プレゼント選ぶのって楽しいよね。何にしようかな。あ、24日まで何買ったかは絶対内緒ね」
僕がそう陽気に言うと、手塚は全く気のない声で、「ああ」とだけ答えた。やれやれ。嘘つくなよ、ちっとも楽しみなんかじゃないくせにと思った。

 24日、僕が手塚に用意したプレゼントは、素敵なイラストと読むだけで誰もが優しくなれてしまうような、僕のお気に入りの絵本だった。手塚がそういうのを読まないことは分かっていたけれど、僕はそれを読んだ手塚の感想を聞きたかったのだ。
ちなみに、手塚が僕に用意したプレゼントは、携帯用のポケット英和辞典だった。僕はあーあ、やれやれ、と思ったけど、「ありがとう。大切に使うね」と笑顔で言った。
手塚は僕がことあるごとに辞書を借りに行くので、それを選んだのだろう。
「それなら、鞄の中にいつも入っていても、そんなに邪魔にならないだろう」と言った。
手塚の絵本の感想は、
「こういうの、あんまり読まないから…」
だった。
「たまには良いだろう?」
と僕が言うと、
「そうだな」
とつまらなそうに答えた。

 

 年が変わった。新学期が始まった。僕たちは冬休み中部活以外で一度も会わなかった。そんな話にはならなかったのだ。多分、必要もなかったし。
気が付くと僕達は半年近くもこんなことを続けていた。半年。手も繋がず、キスもしないで。したのはデート一回だけだ。何度かあれから部屋に行ったけど、別に妙な雰囲気にはならない。
だから、部屋に行った時、聞いてみた。
「あのさ、部屋に二人きりで僕といて、変な気持ちにはならないの?」
「なんだそれは」
「僕達、手繋いだこともないよ」
「手、繋いで歩きたいのか?そりゃ無理ってものだろう?」
手塚は凄く冷静な顔で言った。
「歩きたい訳じゃないけど。でもつきあってたらもう少し何とかないかな」
「こんなものだろ。中学生なんだから」
手塚は当然のように言った。っていうか、僕相手じゃ、そう言うことしたくないってことだろ?素直に言えよ、と僕は思った。
「そうだ。じゃあ、今度の僕の誕生日にはキスが欲しい」
「は~?」
「良いじゃん。タダだし。普通の中学生だってつきあってたらキスくらいするよ。それに早くないよ、もう半年以上つきあってるんだから」
手塚は嫌そうにため息をついた。
「嫌なんだ」
「別に嫌じゃないけど」
別に嫌じゃないけど。手塚はいつもそればかりだ。けど、なんなんだ。いったい。
「そういえばお前の誕生日はどっちになるんだ?」
「どっちになるって?」
「今年はうるう年じゃないだろ?そういう場合、お前の誕生日は2/28日になるのか、3/1日になるのか、どっちなんだ?一般的に」
「3/1日」
「そうか。分かった」
手塚はそれだけ言って、目を本に戻してしまった。「OK」とも「嫌だ」とも言わなかった。ちょっと、僕の誕生日を、手塚が知っていたことは意外だった。まぁ僕の誕生日は2/29日だから、珍しくて大抵の人に一発で覚えてもらえるけれど。

 3/1日はたまたま日曜日で学校は休みだった。僕は手塚の家に行って、開口一番、
「誕生日プレゼントを受け取りにきたよ」
と笑顔で言った。それくらい言わないと、なかったことにされてしまいそうだな、と思ったからだ。
手塚は何も言わないで、いつものように僕を部屋に上がらせた。部屋には僕の好きなジャズのレコードが掛かっていた。
「お茶入れてくるから」
と手塚が立ち上がったズボンの裾を引っ張った。
「後で良いから」
僕はわざと上目使いで見上げてそう言った。手塚はため息をついて、もう一度座った。
「そんなに欲しいか? そんなものが」
「欲しいんだもん。しょーがないじゃん」
手塚がまたため息をつく。ほら、嫌だって言うなら今だよ。そして今が最後だよ。
僕のことはタダの友達としか見れないって、同性とキスするなんて考えられないって、ちゃんと言わなきゃ駄目だよ、だって自分のことなんだから。そんな嫌そうな顔して、ため息つくくらいなら。

 僕は目を瞑って待つ。手塚の手が僕の肩を掴む。
僕の唇に何かが触れた。柔らかくて暖かい何かが。そしてすぐに去っていった。
僕が目を開けると手塚の顔がすぐ近くにあった。いつもと同じような生真面目な顔だ。
「ほんとにするとは思わなかった……」
「お前がしろって言ったんだろう?」
「嫌だった癖に……」
僕は本当にたまらない気分になった。
「ため息つくほど、本当は嫌だった癖に。僕のこと何とも思ってない癖に。 嫌ならちゃんと嫌だって言えよ!!!僕のこと好きでも何でもないくせに、そうやって「つきあって」くれるの、本当に自分がミジメになる」
僕はもう笑顔が作れなかった。僕の目からはぼろぼろ涙が落ちた。なんで僕は、こんな奴が好きなんだろうと哀しくなった。
手塚はさすがに僕が泣き出したので、顔色を変えて、僕の顔を覗き込む。
「緊張してただけで、嫌だった訳じゃない」
手塚はそう言い訳した。
「嫌じゃなくても、嬉しくもないんだろう?僕に触りたいとか全然これっぽっちも思わないんだろう?」
「そうじゃない、そうじゃなくて」
手塚は言葉に詰まった後、僕をぎゅっと抱きしめた。
「止まらなかったら、どうしようって思って…」
手塚の胸はドキドキしていた。
「嫌われたり、傷つけたりしそうで、怖かったんだ……、こういうことするの」
手塚が僕の耳元で小さな声で言った。僕はあーあ、と思った。啖呵切った手前、情けないけど、気持ち良くて、この腕を抜け出せないや。そう思った。だって僕はずっとこの腕が欲しかったのだ。本当は。
僕は半年分、ぐすぐす泣いて、手塚はずっと僕の頭を撫でていた。目が痛くてもう泣くのはこりごりだって所まで、泣いて、鼻をかんでオシマイにした。
泣きまくってぐちゃぐちゃの酷い顔をした僕に、手塚はもう一度、キスをしたので、あー、本物なんだなーと思った。だから初めてのキスは涙のしょっぱい味がした。僕はずっと忘れないだろう。

「出しづらくなった」
と手塚がため息をついて言った。
「誕生日にキスが欲しいと言われて、困ったなぁと思ったのは、もうプレゼントを決めてたからなんだ」
「なにそれ」
手塚は僕に、キチンとラッピングされた箱を渡した。それは箱の大きさの割に重たかった。
開けて見ると、ガラスの花瓶が入っていた。花がモチーフのアール・ヌーボー調の、多分数万円はくだらない奴。
「こんな高いもの用意して馬鹿じゃないの?」
と、僕はキツイ調子で言った。大体僕は、欲しいとも言っていないのに。
「あげたかったんだ。一生懸命見てたし。似てるの探したんだ」
僕はため息をついた。あーあ、と思った。僕のモノトーンの部屋にこの花瓶は似合うだろうか?たぶん、似合わないだろう。でも僕はこの花瓶を大切にするんだろう、きっと。
人とつきあうって、多分に「自己満足」の部分を持ってるんだろうなぁ…と人生のコトワリみたいなことを思った。
「手塚ってさ、案外僕のことちゃんと見てるよね……、何だか知らないけど妙な所だけは」
「そりゃそうだろ。つきあってるんだから」
手塚は当然だと言わんばかりの顔でそう言った。僕は何だかおかしくなって笑った。

 

続きは

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