+Hysteric Blue(2)+

 不二の機嫌が、普段にましてもの凄く悪い………。

 生徒会の用事を済ませて少し遅く部室に行くと、同じくクラス委員の仕事で遅くなっていた不二と部室で二人きりで着替える羽目なってしまった……。
不二は体全体から不機嫌オーラを出している。さっきから二人しかいない部室で、「ドカッ」とか「バキッ」とか「グシャッ」とかいう派手な擬音が、鳴り響いている。やめてくれ、ただでさえ古いロッカーが壊れる……と思うが、とても怖くて口には出来ない。
初夏だというのに部室の体感温度は、緊迫した空気の中で、外より10度は低く感じられる。それでも流れるこの汗はいわゆる冷や汗という奴だ。
また何かくだらない噂が流れて、俺より人当たりが良いと皆に思われている不二の所に、大量に人が押し寄せたのだろう……。何が起きているのかは分かるけれど、今、流れている自分の噂については、皆に無愛想で恐れられている俺の耳には全く届いてこないので、想像がつかない。
まるで象が草木をなぎ倒して歩くように、不二が動く度に部室の中で破壊音が響く。部屋に響く恐怖のラップ音だとかいう奴をふと思い出す。部屋に響く恐怖の破壊音はそんな可愛らしいものじゃない。いつもよくモノが壊れないものだと感心する。不二は、モノを壊さずに派手な物音を立てる技術というものを習得しているのだ。

 俺は早く着替えて、準備をして、この場から逃げ出そうと急ぐ。しかし緊張と恐怖で指が震えるので、上手くボタンが外せない……。もたもたしてると不二の餌食だ。気ばかりが急いで、上手くボタンが外れない。

「手塚……」
「なっ、なんだ?」
制服のボタンと格闘していると、冷たい声を突然背中から浴びせられて、慌てて振り向く。
「留学……するんだって?」
不二の目が冷ややかに据わっている。
「もう噂になってるのか……?」
「そうだよ!!今朝からもう女子が47人も僕を励ましに来たよ!!!!」
俺と不二は不幸な事故で公認のカップルとして認定され、女子のからかいの対象になっている。主に好意的な意味で。
不二は確かに顔は並のオンナノコよりはるかに可愛い。性格は鬼そのものだが。だから実際不二に憧れる男も多いし、その噂は誠に信憑性を持って伝えられ、真実として認定された。
不二は外面が良いので、女子に大変受けが良く、男というより、同性、もしくは仲間として女子に扱われている。だから女子は好意的に不二を応援する。時には厚かましいまでに。

「行かないぞ。その話は断った」
「ほんと?」
不二の顔がぱーっと一瞬笑顔で輝く。
「全国大会があるからな。とりあえず中学までは日本で卒業するつもりだ」
「卒業したら留学するの?」
「そのつもりだ。目指すのは世界だからな。それに、生の英語を習得するのも良い機会だからな。断る理由がない」
不二の顔が笑顔から、大魔人のように一瞬で鬼の形相に変わる。
「あっそう」
「そうか、お前は上の高校に進学するのか。大抵のメンバーは変わらないからな。しばらくは色々とうるさいことを言われるんだろうが……。
人の噂も75日と言うから、そのうち皆も、いない俺のことなんか忘れるだろう」
俺は不二の目を見ると、怖いので背中を向けて着替えを続行した。
「ふーん……。良いよね。ヒトゴトだもんね」
「言っとくが、こんなことになったのは、全部お前のしたことが原因なんだからな。俺は巻き込まれただけだ。
最初っから俺にとっては全部他人のことだ。同情はするが、残りの中学生活をホモのレッテルを貼られて、暗く過ごす羽目になっただけでもう十分、お前にはつきあってやってる。もう結構だ」
俺がため息をついてそう言う。背中の後ろから巨大な殺気を感じて振り向くと、不二が拳を握りしめて、俺を睨んでぶるぶる震えている。
しまった!!言い過ぎた!!!と思った時には遅かった。
バフッと激しい音がして強烈な痛みが顔面に走る。顔に向かって何かを投げつけられた。それは俺の顔にぶち当たった後、ぼすっと鈍い音を立てて地面に落ちる。不二のスポーツバックだった。
「分かってるよ!!」
不二はそう怒鳴って、部室を走り出て行った。バーン!!!という激しい音がして部室のドアが閉まり、古い部室は地震のように揺れ、天井からホコリが舞い落ちる。
いてててててて。不二のでかいスポーツバックを顔面に向かって投げつけられたので、眼鏡が歪んだ……。スポーツバックの中身は着替えやタオルなどの衣類だったので、そんなに破壊力はないが……。教科書が入っていたら鼻血どころじゃ済まなかった。
どうしてあいつはあんなに凶暴なんだ!!!! っていうか何を分かってるんだ何を!!! 俺の言ってることは正論じゃないかっっ!!!!
俺は足元に転がるスポーツバックを思いっきり蹴っ飛ばした後、でも不二にばれると殺されるので、丁寧に鞄についた俺の蹴った足跡をはたいて消してから、カタチを整えて不二のロッカーに丁寧にしまい、もう一度深くため息をついた。

 

 不二はそれ以降、俺を無視するようになった。
「不二が怖い~!!!!睨まれた~!!!!」
菊丸が半泣きになりながら、ペアの大石に泣きついている。
「珍しく荒れてるな~。不二」
大石の言葉に、珍しくなんかない、と心の中で突っ込みを入れながら、俺は黙っていた。
不二は俺を無視する代わりに、誰に対しても大魔人怒りの顔モードになった。
「不二くん、手塚くん留学するんだって?」
「………その話、僕に振らないでくれる?」
不二はいつも、俺にのみ発動される容赦ないマジ睨みを効かせながら、キャーキャー奇声を上げながら走りよってきた女子にそう答えている。目が合うと石になる不二の睨みを効かされた女子は、恐怖で言葉を無くし、半泣きになっている。
「こえ~~~~っっ!!!!」
菊丸がそれを見て震え上がる。
「いったい、どうしちゃったの不二~。授業中は先生にガン飛ばしてるし、放課は男子にガン飛ばしてビビらせてるし、話し掛けてきた女子にもガン飛ばして泣かすし、おかしいよ~。ヘンだよ~。また弟と何かあったのかなぁ?」
その時、不二の打ったボールが俺の顔面に向かって飛んでくる。俺はとっさに持っていたラケットで顔面を庇って事無きを得る。
「ごめ~ん。手がすべっちゃった~」
不二のちっともスマナソウじゃない声が遠くから飛んでくる。俺に向かってボールが飛んでくるのは今日、これで三度目だ。
「狙われてるな。手塚」
「なになに?手塚が不二を怒らせたん? すっげー迷惑だよ~。早く謝ってきてよ~」
「俺は何にもやってない!!!」
「手塚が気付いてないだけじゃないの?手塚そーいうの鈍そうだし」
菊丸、お前にだけは言われたくない。
「俺は留学するのか?と聞かれたから、今すぐはしないって答えただけだ!!」
「言い方悪かったんじゃないの?手塚そーいうのデリカシーとか足りないしさ」
「他にどんな言い方があるんだ!!」
「寂しいんじゃないのか?不二は」
大石は離れたコートで、海堂を相手に練習と称していびりまくっている不二を見ながら呟く。
不二が寂しい?当たる相手がいなくなってか?
「でも不二には言うなよ。殺されるからな」
大石がため息をついて言う。大石は不二の二面性にある程度気付いている。
「確かに今の不二は人を殺しそうな勢いだよね~」
鈍く能天気な菊丸はそういう。今だけじゃなく、不二は普段から人を殺しそうな奴だ、と思ったけど、俺は黙っていた。
「とりあえず、不二は何か手塚に言いたいことがあるんだろう。ちゃんと話し聞いてやれよ」
大石が不二のいるコートを指差して冷静な顔で言う。
「ついでに、そろそろ海堂を助けてやってくれ。その前に不二に海堂が殺される」
「副部長なんだから、お前が助ければ良いだろう?」
「嫌だ。不二に睨まれたくない」
笑顔で大石が答える。俺は大きくため息をつく。
「不二!!!ちょっと来い!!」
海堂が思いっきり助かったという顔をする。
「…………なに?」
冷ややかな視線が返って来る。別の意味で怖い。
「話がある!!」
「ここで出来ない話?今、練習中なんだけど」
「部長命令だ!!!とっとと来い!!!」
俺がヤケになって、そう怒鳴ると、不二がしぶしぶとコートを離れ、嫌そうに歩いてくる。
俺が話しの出来る場所に行こうと、歩き出すと、嫌そうだけどついてくる。人のいない中庭まで来てから、ため息をついて振り返る。不二はそっぽを向いて拗ねたような顔をしている。
「俺に何か言いたいことがあるんだろ?」
「………別にないよ」
「じゃあ何を怒ってるんだ?」
「怒ってなんかないよ」
「怒ってるだろ!!!誰が見ても!!!」
「怒ってないって言ってるだろ!!!」
俺が怒鳴り、不二も怒鳴る。
「絶対お前、ヘンだぞ。俺の留学の話が出てから!!」
「何、ヘンな言いがかりつけてんの?ばっかじゃない?」
「お前、あれか? 俺が留学するって聞いて寂しいのか?」
俺はいい加減イライラして、もの凄く馬鹿にしたように不二を指差してそう言った。ああもう、いい加減、つきあってられるかよ、という気分だった。それを聞いた不二の顔は真っ赤になった。
「なんだ。図星か?お前、俺のことス……」
パーンと激しい音がして、耳鳴りがして眼鏡が吹っ飛んだ。不二は全力で俺を引っ叩いて、
「いい気になんな!!!お前なんか死ね!!!外国でも何処へでも行って死ね!!!」
と怒鳴って、凄い勢いで走って行った。
「いてーっっっ………」
テニスのラケットの振りの勢いで引っ叩かれた………。痛いなんてもんじゃない。ほっぺたが麻痺してもうジンジンして感覚がない……。地面に叩き付けられた眼鏡はフレームが曲がり、レンズは割れていた。
とりあえずスペアの眼鏡を取りに部室に行くと、不二の荷物はもうなかった。帰ったようだ。

 

「なんだその顔!!!」
俺の顔を見て、大石が驚き、菊丸がげらげら笑い転げる。
「鏡見てこいよ~。顔にばっちり手形がついてるぞ~!!!おいおい、みんな見ろよ、手塚の顔!!! 桃~!!!おちび~!!!練習は良いからちょっとこっちこい!!!」
「大丈夫か?手塚」
「………眼鏡が割れた」
「とりあえず保健室に行って冷やしてこいよ。多分、それ内出血で青くなるぞ跡が」
手の形の青アザをつけて学校に通うことを想像してため息をついた。
「よっぽど不二を怒らすようなこと言ったんだな、手塚」
「…………寂しいのか?って言った」
「殺されるから不二には言うなって言ったろ?俺は」
「…………」
部員が俺の顔を見て、くすくす堪えながら笑う。余計にむかむかする。何でこんな目にあうんだ、俺が。
「全員グラウンド30周!!!」
ヤケになって俺がそう怒鳴ると、全員がどよめく。
「部長、横暴~!!!!」
菊丸が叫ぶ。俺は無視する。
「保健室行ってこいよ」
「そうさせてもらう」
あいたたたたた。

 

 結局、顔に青アザが出来たので、翌日から俺は顔に派手にガーゼを貼って、学校に通うことになった。痴情のもつれで、不二に殴られたという噂が学校を駆け巡った。
不二は相変わらず大魔人モードで、大魔人の不二よりまだ無愛想なだけの俺の方が怖くないと思われたのか、次々と女子がやってきて、「不二くんに謝ってよ」とか「不二くんがカワイソウだよ」とか、一方的にまくし立てて去って行った。
実際、不二に当たられるのが怖いので迷惑しているのだろう。
「不二くんがあんなになっちゃったのは、手塚くんのせいなんだからね!!!なんとかしてよ!!!」
と、79人目にやってきた女子は俺に向かってそう叫んで去って行った。

 俺は日常的に不二に当たられて、そういう怖い思いをしていたんだぞ~と思ったが、とりあえず責任を感じないことはない。部活中も、ブリザードが吹き荒れていて、空気がぴりぴりして雰囲気が悪い。
不二はクラスで孤立して、一人でお弁当を食べたりしてるようだ。気を使って菊丸が誘ってみたりするそうだが、「あぁ?」と睨まれて凄まれて泣かされておしまいだそうだ。
不二はとにかくいつも笑顔で人当たりが良く、男子からも女子からも先生からも好かれる、青学の美少女アイドルとしてみんなに慕われていたのが、突然、誰一人寄せ付けない怒りの大魔人に変わったのだから、そりゃ周りも驚くだろう。
不二が本当は大魔人であることを知っている俺でも、人の目を気にする不二が、俺以外の第三者にそういう態度を取るということにはびっくりした。不二はそのあたりとても上手いので、今まで俺がどれだけ「不二は怖い」と言っても、「あの不二くんが怖いなんて、そんな訳ないよ」と言って誰も信じてくれなかったのだ。

 

「とりあえず、不二に謝ってよ、手塚!!!」
菊丸に半べそをかきながらお願いされる。
俺は大きくため息をつく。散々巻き込まれて、ファーストキスを奪われ、ホモだというレッテルを貼られ、引っ叩かれて、眼鏡を壊され、それでも俺が謝るのか?
「不二がカワイソウだよ~」
俺のがカワイソウだ。そう思ったけど、言っても無駄なので黙っていた。
部活の後に捕まえようにも、不二はもの凄いスピードで着替えて帰ってしまうので捕まらない。教室に呼びに行っても、不二が怖いので「無理だと思うよ」と言って、誰も不二を呼んではくれない。直接大声で不二を呼んだが無視された。ちなみにその後、痴話喧嘩続行中という噂になって、その噂は学校中を駆け巡った。
不二は俺を無視する。廊下ですれ違っても、部活中でも。まるで俺の姿は見えてません、とでも言うように。
「不二!!!ちょっと来い!!!」
部活中、部長の権限でそう怒鳴ったけど、無視された。
「不二!!!ちょっと来い!!!部長命令だ!!!」
俺がもっと大声を出して、そう呼ぶと、ため息をついてやっと不二がコートを離れてこちらに嫌そうに歩いてくる。
「頼むよ。手塚」
菊丸が俺に向かって、顔の前で手を合わせてそうお願いする。
とりあえずコートを離れ、また人のいない中庭へ行く。不二は黙ってついてくる。俺は背中に不穏で巨大な空気が俺を押してくるのを感じた。とにかく気が重たい。

「すまなかった」
俺は立ち止まり、振り向きざまにそう言った。
「何が?」
不二が冷ややかな返事を返す。
「とりあえず、あんな言い方をするべきじゃなかった」
「本当は悪いと思って無い癖に、謝らないでくれる?」
不二は冷たい目をしたままそう言った。
「悪かったと思ってるよ」
「嘘つけ。全部僕が悪いと思ってる癖に。君が言ってることは正論だろ」
その通りだ。その通りだけど、とりあえず。ここは何とか不二に機嫌を直してもらわないといけない。それが部長であり生徒会長の勤めってものだ。俺の肩に部活と学校の平和が掛かっている。
俺はその場に膝をつき、手をついて頭をさげる。
「済まなかった」
「なにそれ……?」
不二がそれを見て、余計に声を荒げる。
「なにそれ。馬鹿じゃないの?っていうか馬鹿にしてるの?土下座すれば済むだろうって奴?とりあえず土下座?馬鹿じゃない?」
不二が立て続けにそうまくし立てる。
「何にも分かってない。手塚は何にも分かってない。自分が悪いなんて思ってないくせに。なにそれ、それ、部長の仕事?僕の機嫌を取るのが仕事? 皆に頼まれたから? ほんと最低!!馬鹿にするなよ!!!!」
不二が拳を振って怒る。逆効果だったようだ。とりあえず立ち上がる。
「君が殴られて、眼鏡壊されて、今も顔にそんな大きなガーゼ貼って学校に通う羽目になってるんだろ?僕のせいで!!全部僕のせいで!!! なんで君が謝る訳?怒るのは手塚だろ?本来なら!!!」
分かってるなら、何とかしろよ…と思ったけど、とりあえず不二の肩を掴む。
「落ち着けよ!!!」
「これが落ち着いていられるかって……い………」
不二が突然崩れるようにしゃがみこむ。
「ど、どうした不二?」
「いたたたたたた……」
不二が腹を押さえてしゃがみこむ。
「大丈夫か?」
肩を揺らすと、そのまま不二の体は地面に力なく倒れる。体を揺らしても意識がない。
「しっかりしろ!!不二!!!」
俺は不二の体を背中に背負って、保健室に走った。
くそーっっ!!!何が何なんだかーっっ!!!!と心の中で叫びながら。

 

「シンケイセイイエンだってさ」
「神経性胃炎?」
「あいつ、二週間で五キロも痩せたんだってさ」
救急車でたまたま大石の親戚の医者のいる病院に運ばれたので、病状を詳しく聞いてきた大石が説明する。
「そういえば不二の親は?」
「まだ捕まらないって。姉さんは捕まったけど、遠くにいるから、あと二時間くらい掛かるって。
弟は寮にいっちゃったし、両親は両方とも忙しくて姉さんも合コンだなんだって遊び歩いていて、あいつ、いつも家で一人みたい。最近、食事まともにしてないの誰も気がつかなかったみたいだな」
「大石は気付いてたのか?」
「英二も気付いてたよ。弁当も食わないで最近昼休みは寝てばかりいるって。凄く痩せたし。気付いてないのはお前だけだろ」
大石が冷静な口調で言う。最近、痩せたっけ? 目が合うと怖いのでまともに見ないようにしているので気が付かなかった……。
「寂しいんだと思うよ。不二は。どんなカタチでも、手塚は不二にとって特別なんだよ、やっぱり。
もうちょっと優しくしてやれよ。色々と難しい奴だけどさ。あ、もう余計なこと言うなよ。今は、不二、参ってるんだから」
余計なことを言うなって、じゃあ何を言えば良いんだ……。
「あんまり不二に何か聞くなよ」
「じゃあどんな会話すれば良いんだ」
「そりゃ、自分から言うことだろ」
「自分から言う?」
「留学すると俺も寂しいって言ってやれよ。不二と離れるのは」
「あ~?」
「嘘でも、言ってやれよ。相手は病人なんだからさ」
不二と離れるとせいせいするだろうな。ストレスが少なくとも1/3に減るだろう。静かになってそういう意味では寂しくなるかもしれないけれど。
「聞いて確認したいことは、先に全部自分から答えれば、不二も素直に答えてくれるかもよ。そういうものだろ?人って」
「そういうものなのか?」
悟ったように大石が頷く。なんだか大石は大人だなぁ、と思った。というより、俺が子供なのかもしれないな。
「不二は今、緊急の病人のために用意されてる個室にいるって。面会謝絶ではないから、会ってこいよ。俺はさっき会ってきたけど、起きてたから」
「…………気が重い」
「手塚にありがとうって言っといてって言ってたよ。自分の口で言えよ、って言っといたけど。不二はちゃんと手塚には済まないって思ってるよ」
「そうかな……?」
「それなりに」
は~っと大きなため息をつく。
でも仕方がないので大石に連れられて不二のいる病室の前まで行く。大石は俺の肩を叩いて、行ってしまった。
二回、ノックをして、中から不二の声で返事があったので中に入る。
不二は白い病室のベットの上で、外を見ていた。俺は恐る恐る近づいて、ベットの脇に立つ。
「ごめんね。手塚。心配かけて」
不二はこちらを見ないでそう言った。
「あの……あのさ……」
「…………」
不二は返事をしない。
「二年間で帰ってくるから。青学から交換留学生で行くから、籍は青学のままだし、三年次には戻ってきて、俺はお前と高校でもテニスで全国制覇するつもりだから」
「…………」
不二は何も言わずにこちらを見た。
「長い夏休みには戻ってきて、青学に通うつもりだし、日本にも結構帰ってくるし、だから……その……、俺はお前のテニスの腕は買ってるし……、その……テニスの腕磨いて待っててくれ……」
俺は何を言ったら良いのか分からなくて、上手く言えなくてしどろもどろそう言った。多分、俺の顔を耳まで赤くなってる。
「不二はその……、俺のこと、嫌いなんだろうけど。俺は不二のこと、好きだよ……不二はその……なんというか面白いし…(度がかなり過ぎるけど……)」
気まずくて俯いてそこまで言ってから、不二の顔色を伺うために、恐る恐る顔を上げた。
不二の顔は耳まで真っ赤になっていた。驚いたように大きく目を見開いて。まるで最初に会った時のような顔をして。
うっっっ。可愛い!!!その時、なぜか突然そう思った。最初に会った時みたいに。もう見慣れた顔のはずなのに。
何故だか分からないけどドキドキする。俺も耳まで赤くなって、俯く。
不二が俺の手をぎゅっと握る。細くて小さな冷たい手。俺達はそうして、手をつないで、俯いていつまでも黙り込んでいた。

「しないの?」
小さな声で、不二がそう言ったのを聞いて我に返る。
「な、何を?」
「キスに決まってんじゃん!!!するだろ!!こういう時、普通!!!」
不二が顔を赤くしたまま怒ったようにそう言った。
ちょ、ちょっと待て、何で突然、そんなことになるんだ?
不二が顔を赤くして潤んだような目で俺を見上げる。俺はもう目が離せない。
待て。ちょっと待て。ここを超えたら本当にもう戻ってこれないんだぞ!!! ともう一人の自分がストップを掛ける。
顔が超可愛くったって、不二は男だし、性格もあんななんだぞ。一生不二につきまとわれ、尻に敷かれることになるんだぞ!!!それで良いのか?俺?
でもこの雰囲気はなんだ!!!不二の目は潤んでうっとりしちゃってるし。俺は目が離せないし。
不二の手が俺の二の腕のあたりにしがみつく。そして目を瞑る。長い睫が揺れる。間近で見ても痺れるくらい可愛い。確かにこいつは顔だけは可愛い。殺人的に。
ここで間違いでした、なに勘違いしてるんだ?、とでも言えば俺は間違いなく不二に今度こそ殺される。
ここでモタモタすると、またすぐ不二に怒鳴られる。したらしたで、永遠に不二に怒鳴られ続ける。
理性が俺にするな、したらどうなるか分かってるんだろ?と言うが、もう一人の自分がしなくてもどうせ殺されるよ、と冷静に囁く。本能は不二に吸い寄せられている。2対1だな…とかくだらないことをぐるぐる考えていたら、痺れを切らした不二が目を開ける。
頬を膨らまして上目遣いで拗ねたように見つめる。その顔がもの凄く可愛い。これに逆らえる男がこの世にいるのか?と思わず自問自答する。
「僕に恥じ掻かせる気?」
「ちょ、ちょっと緊張して」
俺はぶんぶん首を振りながらその言葉を否定する。なんで否定するんだ?俺!!!!
不二がもう一度目を瞑る。ピンク色の小さな唇は甘そうだ。可愛い可愛い可愛い。頭の中でぐるぐるそんな言葉がこだまする。
男がどうのって言うより、いくら可愛くても相手は不二なんだぞ?歩く破壊神、怒れる大魔人なんだぞ!!!
俺の理性はそう叫ぶが、結局本能には勝てなかった。顔が可愛いからって血迷うなんて、俺も所詮は男なんだなぁ…と思った。いや、こいつも男なんだが。ある意味、こいつほど男らしい男を俺は見たことないはずなんだが。
ドキドキしながら目を瞑って、少しだけ触れた唇は柔らかくて暖かかった。目をあけた不二が凄く近くで恥ずかしそうに頬を染めて微笑む。うっと息と胸が詰まる。
抱きしめていると腕にすっぽり収まる。細い体が何だか気持ち良い。その時、ノックの音がして慌てて離れた。
不二が返事をすると大石が入ってきて、
「部屋を相部屋に移すって」
とにこやかに言った。

 

 不二は三日入院して、学校に戻って来た。心配だったので、初日、不二を迎えに行ったら、俺はそれ以降、朝は不二を迎えに行き、帰りは不二を送って行くことを当たり前に命令された。
学校の玄関まで来て、靴箱を開けると、ひらりと何かが落ちた。拾い上げると可愛らしい封筒だった。
「ラブレターだね」
不二がそれを見て笑って言った。
「勿論、断るよね?」
「は?」
「君は僕に好きだって言ったんだからね?」
そう言って不二が凄む。口元は笑ってるけど、目は笑っていない。俺は怖くて反論できない。
あれ以降、「僕に好きだって言ったんだからね?」というのが不二が俺に何かを命令する時の決り文句になった。
こうなるって分かっていた。最初から分かっていたのに……。
ここでため息をつくと、不二に睨まれるので俺は耐えた。

 

 昼は屋上で一緒に食べるようになった。外野は急に不二が元のように愛想が良くなり、俺と不二が前より一緒にいるようになったので、「仲直りした」という噂が流れたようだが、不二はもうそういう噂は本当のことだから、と言って気にしてないようだ。女子に色々言われても開き直って、恋愛相談などをしているようだ。なんでこいつはこんなにタフなんだろう……?

「やっぱさぁ……、やられるよりやりたいよね?」
「何が?」
「決まってんじゃん。アレだよアレ。まぁ押し倒そうにも僕が手塚を押し倒すのは無理そうだから仕方ないか」
何でそんな話に突然なるんだ!!!びっくりしてぶーっっと飲んでいたペットボトルのお茶を吹き出した。
「汚いなぁ………」
「お前が突然、ヘンなこと言うから!!!」
俺はげほげほ咳き込みながら答える。
「重要なことじゃん。じゃ、僕にやられたいの?手塚」
「うっっ」
「やられたい?やりたい?どっち?やりたいだろ?やっぱり」
「どちらかと言えば……」
「そうだよね~。僕も別にやられたいとは思わないんだけど。まぁ仕方ないや。ゆずるよ」
不二がため息をついて平然とした顔でさらりと言う。やれやれとでも言うみたいに。そういうものか?
不二が鞄から雑誌を取り出す。カラフルな女性向けの雑誌だ。
「どうしたんだ?それ」
「クラスの女子に借りたの」
「なんでまた」
「貸してくれるって言うから」
不二が平然とした顔で、雑誌のページをぺらぺら捲る。そして顔をあげるとじっと俺を上目遣いで見つめた。
「あのさぁ、手塚。僕、可愛い?」
「な、何だ?突然」
「僕って可愛いよね」
不二はしみじみと言った。自覚はあるんだな、と思った。っていうか答えがいらないなら聞かなきゃ良いだろうに。
「前は自分が可愛いのが嫌だったんだけどさ。もうこうなったら開き直ろうと思って。手塚も連れて歩くなら可愛い方が良いだろう?だから可愛さを磨くよ。
今は何もしなくても凄く可愛いけどさ。いつまでもこの可愛さを維持できるとは限らないし」
と、雑誌に目を落とす。俺は色んな意味で唖然としてしまって次の言葉が出てこない……。
「ちょうど痩せたことだしね。この体重を維持して、スキンケアとか、色々気をつけようと思って。
僕ってほんとけなげだよね~。手塚も良いコイビトを持ったよね」
しみじみと不二が言う。こいつは本気で言ってるんだから怖い。
「その…そんなに人と違う道に進んで行かなくても良いと思うんだが………親も泣くだろうし」
「何を今更言ってんの? 男とつきあってるってだけでもう泣いてるよ」
「いや、だからな。見た目とかから異常にならなくても良いだろう別に」
「異常にはならないよ。僕、スカートも化粧も絶対似合うと思うよ」
「息子がスカートはいて化粧して表を歩いていたら、もっと親が泣くだろう!!!」
「良いの、別に。責任は全部手塚に取って貰うから」
不二はにっこりと笑ってそう言った。ビューッッと背中でブリザードが吹き荒れた。
「手塚が日本に帰ってくる頃には、もの凄く綺麗になってるから期待してよね」
不二は笑顔でそう言った。感謝しなさいね、と言うみたいに。
「嫌だったんじゃないのか?女と間違われたりするの……」
「もうこうなったら武器として使うしかないと思って。本物のオンナノコに負けたくないし。負けないようにするからね」
と言って、にっこり笑う。お前に勝てるオンナノコがいる訳ないだろう、と思ったけど、平和のために黙っていた。

 

つづきは

「あの鐘を鳴らすのは私」
新書。136P。1200円。

詳しくはオフライン情報で。