+レモン・エレクトリック+

「あ、あ……アンテナ」
「茄子」
「す……、西瓜」
「辛子明太子」
「こ………」
「………不思議だ」
 部活の帰り道、暇潰しにシリトリをしながら歩いていたら、突然、真面目な顔で乾が呟く。
 「何が?」
「このシリトリ、食べ物の名前が登場する確率が全体の80パーセント以上なんだ」
「そりゃ、お腹が空いてるからだよ」
「そうか、お腹が空いているのか。なるほど」
「何か食べて帰ろう」
「そうしよう」
「変な会話」
 僕達のシリトリに参加せず、黙って聞いていた菊丸がそんな突っ込みを入れる。
「乾と不二が仲良いのって変。全然タイプ違うじゃん?」
「そう?」

 

 全くタイプの違う、僕と乾が、いったい、どのようにしてこのように仲良くなったか?

「あ、俺はここで」
一年生の初めの、部活の帰り道、皆で駅までの道を歩いていたら、突然乾が立ち止まる。
あんまり喋る方じゃない乾と、人見知りの傾向がある僕は、一年生の集団の最後尾を二人、何となく話をするでもなく歩いていた。
「どこかに寄るの?」
僕は一応の社交辞令でそう聞いた。
「ちょっと買い物を」
そこはスーパーの前だった。立ち止まっている間に、前を歩いていた皆は先に行ってしまい、信号も赤に変わってしまった。
「つきあうよ。ちょうど僕も飲み物が欲しかったし」
僕は、喉がとても渇いていた。乾は曖昧に頷く。
二人で、スーパーの自動ドアをくぐる。
慣れた手つきでスーパーのカゴを腕に掛けた乾が、野菜売り場の果物コーナーの前で、立ち止まる。
「料理とかよく作るの?」
「両親とも共働きで帰りが遅いので、料理もよく作るんだが。
これは料理に使うんじゃない。実験に使うんだ」
「実験?」
「おお、これだこれ」
乾が独り言を言いながら、慎重にレモンを選んでいる。
「実験?何の実験?レモンなんか使って?
酸性とか、アルカリ性とかそーいう実験?」
僕はレモンを見て、昔やったリトマス試験紙を使った実験を思い出した。
「いや、違う。電池を作るんだ」
「電池?」
「レモン電池」
乾がカゴにレモンを沢山、放り込む。
「レモンから、電池なんか出来るんだ」
僕が感心してそう言うと、乾が黙って頷く。
「でも、なんでレモンで電池を作る必要があるの?」
「ラジオを動かしたいんだ。本当は無線を動かしたいんだけどな。まずはラジオから」
「無線?」
「アマチュア無線が趣味なんだ」
「ふーん。でもなんでレモン電池で無線を動かさないといけないの?」
「災害時に、電気の供給が止まっても、無線を動かすには、レモンが何個必要かを立証したい」
「………ふーん」
僕はふーん、と感心したように言いながら、電気が止まるような非常自体には、ほとんど輸出に頼ってるだろう、レモンなんか身近にないんじゃないだろうか?という根源的なことを思った。
っていうか乾って変わった奴。

 乾がレジでレモンを15個くらい買う。
僕は、コンビニよりちょっとだけ安い、ペットボトルのお茶を買う。

「本当にこんなレモンで、電気ができるの?」
乾の手で、カゴからビニール袋に無造作に入れられていくレモンを一つ手に取る。すっぱくて良い匂いがする。
「出来る」
「見てみたいな」
「見に来るか?」
「良いの?」
乾が黙って頷く。
「ラジオは動かないかもしれないが、発光ダイオードが点く所は見せられる」
「ふーん」
発光ダイオード……。って何だ?
「レモン電池は抵抗が強いんだ。電圧が下がりやすいから、低電圧で動くものしか動かない。動いて1V未満……」
「ふーん」
乾がぶつぶつ専門的なことを呟いていた。乾が何を言っているのか三月まで小学生だった文系の僕にはさっぱり分からなかった。でもとりあえずふーんと相槌を打つ。

 乾の家は、僕の定期内の駅で途中下車して、歩いて20分くらいの距離にあった。 乾が駅の自転車置き場に置いてあった自転車を引いて歩く。
住宅街にある乾の家は、外から見たらごく普通の一戸建てだけど、中が変だった。玄関も部屋も、とにかくモノが多くて混沌としたイメージ。その中でも、2階の一部屋が特に異様だった。その部屋の窓の外には、くくりつけられたように沢山のアンテナが立っている。
古いパソコンや、剥き出しになった機械の中身、訳の分からない機械が沢山置かれている。大きな机の上には、はんだごてや小さなパーツ、ドライバーなんかがゴロゴロ転がっている。
実験室に置かれているような、アルコールランプや、ビーカーなんかも、業務用っぽい棚に並べられている。
「それが無線の機械」
「これ?」
大きな、用途の分からない機械を乾が指差す。
このインターネットや携帯メールの時代に、アマチュア無線………。
壁にはまるで賞状のように、アマチュア無線の資格証明書が額に入って飾られていた。
「凄いね。この部屋。この部屋、君の部屋なの?」
「違う。実験室」
「実験室?」
普通の家に、実験室なんかあるか?
「こーいうの、お父さんの趣味なの?」
「機械系が父さんの趣味で、化学系が母さんの趣味。
父さんが技術屋でメーカーで商品開発してて、母さんが研究者で、食品などの研究開発をしている」
「へ~」
親が貿易関係の仕事をしている僕の家に、輸入品が沢山並べられているのと同じ原理なんだろうか。
でも絶対何かが違う気がする。
見たことのない技術系雑誌が沢山本棚に詰め込まれている。僕が興味深く読めそうな本はない。

 転がっているカセットテープを拾う。
「なにこれ、古いカセットテープ?」
「プログラムが入ってる」
「プログラム?」
「フロッピーが出来る前、プログラムはカセットに保存されてたんだ」
「へーっっっっ!!!!」
派手に感心してから、でもどうやって?と思った。しかし、説明して貰っても理解できないだろうから、詳しく聞き返すのをやめた。
オモシロイ家。

 乾がレモンを取り出して、机の上で錆びたカッターで半分に割る。ぱかっと割れて、レモンが机に転がる。そんな扱いを受けたのに、そのレモンはけなげにも、爽やかな匂いを部屋中に広げる。………なんか勿体ない。
乾が手際の良い手つきで、金属をレモンに差込み、配線をつなぐ。
いきなり乾が部屋の電気を消す。配線の先にくっついた発光ダイオードが微かに赤く光っていた。
「ほんとだ~。光ってる~!!!」
「オルゴールも鳴るぞ」
乾がそう言って、電気を点け、配線をつなぎなおすと、電子音のオルゴールが多少テンポ遅れで鳴る。
「すごーい!!!」
僕が派手に驚いて見せると、乾は少し得意げに見えた。
「でも、レモンより、電池買った方が安いよね。今、百円均一とかでも電池安く売ってるし」
「それを言ったらおしまいだ」
平坦な声で乾はそう言った。

 

 部屋中にレモンの良い匂いがする。
乾が一つずつレモンを増やして、つなげた古いラジオに耳をつける。しかし、ラジオはウンともスンとも動かない。そして何かメモを取る。機械みたいなもので、電流や電圧を測る。僕はそれを黙って見つめる。
…………退屈。
「そのレモン、実験終わったら食べられるの?」 
「イオンが溶け出しているので、原則的には食べられない」
「なんか勿体ないねー」
あーあ、おなかすいた。
「食べたけどな、1回。蜂蜜に漬けて」
「どうだった?」
「別に、腹も壊さなかったし、変な味もしなかった」
「ふーん、結構高いだろ?レモンって」
「だから、新聞で特売情報を調べて、安い時にまとめ買いしている」
「へーっ」
「今朝、準備中のスーパーを覗いたら、レモンが安かったので買って帰ることにしたんだ」
毎朝、レモンの特売情報をチェックする。…………やっぱり変な中学生!!!
「あー、お腹すいた」
僕は独り言のように呟く。
「なんか食べるか?」
「えっ?いーよ、悪いよ。別に催促した訳じゃないし。
大体実験中でしょ?」
「いい。これ以上つないでも、抵抗が変わらないことは判明したし。他の方法を考える」
乾がレモンから金属板を抜いて、ゴミ箱にぽいぽい捨てていく。実験に使った金属板を持って、乾が部屋を出て行くのをついていく。
台所で、乾が手を洗い、丁寧に金属を洗ってから拭く。冷蔵庫をあけて覗き込む。冷凍庫を開けて覗き込む。ご飯のジャーを開けて覗き込む。
「なんか作るの?」
「材料がないので、たいしたものは作れないが」
「ご飯とか自分で作るの?凄いね」
僕は台所に立ったことなんかない。でも、家庭科実習は好きだ。個人的にはもっと料理がしたいと思う。
でもうちの母さんは、台所が汚れると言って、使わせてくれない。
乾が手際の良い様子で卵を溶いたりするのを見て感心する。
「うちの親は、両方とも十時過ぎないと帰って来ないので、大抵簡単なものを自分で作って食べる」
フライパンで何かを手際よく炒めながら、乾が返事をする。醤油とバターのこげる良い匂いがする。
「良いね。自由になる台所があって。料理って楽しいよね」
「実験に似ているしな」
「えー?実験に似てるかなぁ………」
実験だと思うと、美味しくなくなる気がする……。思わず、錆びたカッターで切られて転がるさっきのレモンを思い出す。
あっという間に、不揃いのお皿に、チャーハンが盛られる。
「凄いねー」
「凄くない。冷凍野菜ミックスと卵と残りご飯のチャーハンだし。包丁は一切使っていない、いい加減な料理だ。誰でも作れる」
皿とスプーンを渡される。リビングのソファーに移動する。
「あっ、美味し~い」
乾の作ったチャーハンは本当に美味しかった。
「それは良かった。牛乳飲むか?」
「なんで、牛乳?」
「背を伸ばすために、1日1リットル飲んでるんだ」
「………凄いね。なんかお腹壊しそうだけど」
「不二も飲んだ方が良い」
「悪かったね。どーせ、僕は小さい方だよ」
べーっと舌を出す僕に、乾が小さく笑った。珍しい。
「牛乳も特売チェックするの?」
「その通り」
冗談で言ったんだけど、真面目腐った答えが返ってきた。

「余ったレモンで、蜂蜜漬けでも作って部活に持って行くか………」
乾が独り言を言って、また台所に立つ。手際良く、レモンを薄く切っていく。
「実験には使わないの?」
「しばらく、低電圧で動くラジオについて考える」
「ふーん。ラジオ、動いたら、僕にも聞かせてよ」
「分かった」

 

 駅までまた乾に送って貰って、家に帰った。

 翌日、部活の後、一年生しかいなくなった部室で(後片付けは一年生の係りなので、いつも部室を出るのは一年生が最後になる)、乾がレモンの蜂蜜漬けを皆に配った。
「気が利くなー、乾!!!」
皆、喜んでいたけど、僕は、錆びたカッターで真っ二つに切られて転がったレモンをどうしても思い出してしまって、「僕は良いよ、皆で食べて」と遠慮した。

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