+ブック・ノート+


 僕は本を読むのが好きだ。
 でも、その年代では、あまり読まないだろう類の大人向けの本を読むので、同年代で話の合う人はなかなかいない。

 僕は勝手に、何でも知ってる(ようにその時の僕は感じていた。)乾なら、色んな本の話が出来るような気がしていた。

「去年の芥川賞を取った二人って、凄い若いオンナノコだったんだってね~。すごいね~」
(※ 2004年の受賞だと、うるう年の受賞となるため、うるう年生まれの不二の誕生日をかねあうと、(学生は四月で年が変わる)、今12歳の不二にとって、2004年の芥川賞受賞の話は、去年の話になる。つまり、この話は、2004年4月(中1)~2006年10月(中3)くらいまでのちょっと未来の話、不二は1992年生まれになります。余談。)

 と、僕は一般常識の部分を含めて、日常会話の一部として、「今日は良い天気ですね」と言うように、部活からの帰り道、隣を歩いていた乾に深い意味はなくそう言った。
「芥川賞?」
そうらしいね、くらいの「当たり前の返事」が返ってくると思っていたのに、乾は大部分の同級生と、同じように、「何だそれ?」という顔をした。
「知らない?去年の芥川賞受賞したのは、二十歳と十九歳のオンナノコだったんだよ」
僕は心の中で、ちょっとだけがっかりしながら、笑顔を作ってそう言った。
「僕もまだ読んでないんだけどね」
「…………」
乾は少し考え込むように、黙り込む。
「芥川賞って、何の賞だ?研究?論文?」
乾は真面目な顔でそう言った。
「えっ?芥川賞知らないの?」
僕は乾の意外な答えに驚いてしまって、叫ぶようにそう言った。
「芥川賞って、芥川龍之介を……記念する賞、なのかな……?
芥川龍之介だよ?知らないの?」
乾は黙って頷く。
「乾、本ってあまり読まないの?」
僕は呆れたようにそう言った。
「読むぞ」
「最近、読んだ本はなに?」
「自作ラジオの作り方」
「それ、専門書でしょ~?」
「好きな作家とかは?」
「作家か……。学会が作る本が多いからなぁ……あえて言うなら、大学教授の書く本かな」
「だから、それ研究書や専門書で、作家じゃないって!!!
知らないの?ほら、有名な作家いっぱいいるじゃん!!! 赤川次郎とか、村上龍とか、村上春樹とか吉本ばななとか」
乾が黙って首をある。
「山田詠美とか、小川 洋子とか、柳美里とか、鷺沢萠とか、椎名誠とか、嘘!!全然知らないの?
じゃあさくらももこは?え?さくらももこも知らないの?
(※不二はお姉さんの持ってる本を読むため、本が好きな女の人がよく読むタイプの本のラインナップになっている。)」

 神様は僕達に二物を与えない。

 乾は、電気とか科学とか栄養とかには物凄く強いし、よく文字を書くから、漢字も書けるけど、物凄い文系オンチであった。

「本、読むの嫌いなの?」
「そういう訳じゃないが。昔から、身近にあったのが、技術系専門書と、科学系専門書だったからなぁ……」
週刊といえば、ジャンプではなくアスキー。マガジンと言えば、漫画雑誌ではなく、DOS/Vマガジン。(でも自宅には凄く古いパソコンしかなく、インターネットにはつながらない。)
なんて親や兄弟の影響は子供にとって絶大なのだろう………とか、ヒトゴトのように思った。
考えてみると、僕が読むのは姉さんの本だし、僕が聞くジャズのレコードは、レコードプレイヤーだって親のものだ。僕だって、家でジャズを聞いてるなんて、同級生に言ったら、変な顔されるし。
僕も最初はジャズなんかって馬鹿にしてた。好きな作家(※村上春樹)がジャズが好きで、ジャズ入門書とかを書いていたから、それがきっかけで聞き始めた単なるミーハーだ。うーん……。
でもちょっと、乾が僕と同じ本を読んで、とのような感想を持つのか聞いてみたい………。

 僕はその夜、自分の部屋で、乾が興味を持って最後まで読んでくれそうで、自分が好きな本を、悩んで悩んで悩んで何とか選んだのだった。

「この本、面白かったから、読み終わったから乾に貸してあげるね。
読み終わったら、ぜひ感想を聞かせて」
僕は、昼放課に乾の教室まで行って、僕が選んだ二冊の分厚い文庫本を上下セットで乾に押し付けた。
読み終わったから、というのは嘘だった。僕はその本を3回ずつは読んでいた。
世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド。
乾ならば、興味深く最後まで読める本だと思う。
変な生き物が出てくる乾が絶対読まなさそうなファンタジー小説だけど、記号とか計算とか科学者とか、「乾の興味深そうな」要素もある。
でも最後まで読んでも、多分明確な答えは出ない。100万人に100万通りの答えのある本。多分、文学とはそういうものなのだろうけど。とりあえず、乾がどんな答えを出すのかに僕は非常に興味があった。
上下巻の本を、上巻だけ先に渡すと、最後まで読んで貰えないかもしれない、と思ったので、僕は上下巻をセットにして、二冊同時に押し付けた。
乾は突然のことに、ちょっと驚いたような顔をしていたが、僕は、
「じゃあね!!!」
と勢い良く言って、急いで背中を見せて、教室に戻った。

 その後、部活で乾と会っても、あえて本の話は避けた。
一週間が過ぎて、乾が僕の教室に、ノートを持ってやってきた。
「感想を書いてきた」
乾はそう言って僕にノートを渡した。
僕は、面白かったかどうか、聞きたかっただけなんだけど。
授業開始の鐘が鳴る。
「じゃあ」
乾は軽く手を上げて、自分の教室に戻って行く。
先生が入ってくる。僕は慌てて自分の席に戻る。

 授業が始まって、何気なくノートを開いて、僕は「ぶっ」と大きく吹き出す。
教室中の皆が振り返る。先生も、僕を睨む。僕ははっと気づいて、ぺこぺこ頭を下げる。

 何気なく開いたページには、「物凄く奇妙な図」が描かれていた。口では説明できない物凄く奇妙な絵だ。
その本に出てくる地底に住む謎のやみくろという生き物の、想像図が描かれていた。(僕はその名前の語感から、トトロに出てくるまっくろくろすけみたいなのを想像していた。)
ノートには10ページくらい、ぎっしりと何かが書き込まれている。
小説の感想に必要だとは思えないグラフや計算式。
何メートル地下に潜ると平均何度上がることから計算した地底世界の「予想深度」であるとかが、計算されている。
その本にはコンピューターの話も出てくる。書かれた1985年という時代背景に照らしあわして、今のコンピューターとの進化の違いや共通点が細かく解説されていた。
それは、感想というより、研究レポートだった。(しかもトンデモ系)
そして頭から読むと、ちょっと面白かった。解釈はかなり僕と違うけど。

 まぁ……、ちゃんと最後まで真面目に(彼流に凄く真面目に)、読んでくれたみたいだけど………。

 僕が自分の思う所の感想を、そのノートに書いて、乾に返したら、またそのノートはそれに対する反論・意見が書き込まれて、僕の所に戻ってきた。
すっかり往復書簡(交換日記?)状態。そのノートに書かれていることを読むと、乾は本当にその本を深く読み込んでいることが分かった。つまりまぁ、彼からすると、「興味深い本」だったのだろう。
そしてある程度本に関する理系対文系の噛み合わない討論が済んで、本と一緒にノートが僕の所に戻ってきた。
僕は、同じ作家の他の本と一緒にノートを乾に返した。

 僕はそのように、ネタが尽きると新しい本を提供し、たまに乾が僕にでも読めるような理系の本を提供した。
ノートは書き込む所がなくなると、新しく新調され、結局、今も僕達の間を往復している。



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