+ブルー・プリント+


 実験の経過を見せるために、無理やり連れてこられた乾の家の実験部屋で、実験に夢中になってしまった乾に相手にしてもらえず、暇を弄んでいた僕は、変なモノを見つけた。

「あ、これ何?」
黒いガムテープで蓋を止められたお菓子の缶に「ぜったいあけるな!!!(さ)」と子供の大きな文字で書いてある。
乾が実験の手を止めて顔をあげる。
「開けてみていい?これ」
「あ、それは!!!それは絶対駄目だ!!!」
乾が珍しく取り乱して、僕の手からお菓子の缶を取り上げる。
「え?なに?中に何が入ってるの?」
乾は考え込んだような顔をして返事をしない。
「ねぇねぇ、なに?何が入ってるの~?ねぇ?」
「見たいか?」
「見たい見たい!!!」
「分かった……。これは、昼間にしか見せられないものなんだ。土曜日の昼にでも来い」
乾がため息をついて言う。
「昼にしか見れないもの?」
「そうだ。これは昼にしか使えない。
凄く貴重なものなんだが……、特別だぞ」
「そんな凄いものなんだ~。
じゃあ、今週の土曜日、学校休みだし、来てもいい?」
僕達の学校は隔週で週休二日だ。
「晴れてたらな」
「雨天延期?それ、外で使うものなの?」
乾が黙って頷く。
「しかし、なんてものを見つけ出してくるんだか………」
どうも乾は箱の中身を僕に見せたくないらしい。
「だって、退屈なんだもん。ゲームとかないの?」
「ゲームか?あるぞ。俺の作ったのが」
乾はそう言って、古いパソコンの電源を入れる。
「乾、ゲームも作れるの?」
「作れるというか、雑誌に載ってるのをベーシックで打ち込んだだけだけどな」
「ベーシック?」
パソコンが立ち上がるが、ウインドウズマークが出ない。
「あれ、このパソコン、ウインドウズじゃないの?」
「これはマイコンだ」
「マイコン?」
「昔はパソコンをマイコンって言ったんだ」
乾がカタカタ古いキーボードを動かすと、昔懐かしいパックマンが始まる。
「うわ、なつかしーっっっ!!!ってやったことないけど」
「操作はキーボードの十字キー」
乾はそう言い残してまた実験に戻ってしまう。
うっ、案外難しい………。すぐに死んでしまう。
「ねー、乾ー。死んじゃったー。コンテニューってどうやったらいいのー?」
乾がやってきて、
「このボタン」
と言ってエンターを押す。
「このキーボード。普通のパソコンとボタンの場所が違うね」
「JIS規格が一般化する前のパソコンなんだろうな。
例えば、これは昔のワープロなんだが……」
そう言って、隣にあった僕がパソコンだと思っていたモニターにキーボードが折りたたまれる形でくっついている大きな古い機械のキーボードを、モニターから下ろして見せる。
「え?これ、パソコンじゃなくて、ワープロなの?」
「ほら、見てみろ。ひらがなが左から縦にあいうえお順になっている」
「あ、ほんとだー。不思議~」
「JIS規格でも打てるけどな。あいうえお順とJIS規格のどちらかを選べるようになっているんだ」
「ふーん………」

 乾がまた実験に戻って行く。
キーボードの操作に慣れず、なかなか難しい。
しかし、128ビット機とか、プレステ2とか、任天堂キューブとか言ってるこの時代に、マイコンでベーシックでパックマン………。
「これって何年くらい前のパソコン?」
「大体、20年くらい前じゃないかな」
「………20年………。
あーっっ!!!また死んだ!!!パックマン、難しいよ!!!」
「インベーダーゲームもあるぞ?」
「インベーダーゲーム……。それも随分懐かしいね。
なに?これフロッピー?凄く薄くて大きいね」
「5インチフロッピー。今のフロッピーは3.5 イ ンチフロッピー」
5インチフロッピー……。
「乾のお父さんって、昔からモノが捨てられないの?」
「それもあるが。自分が昔使っていたパソコンは壊れてしまったり、捨ててしまったりしてるから、今になって古いパソコンやパソコン雑誌を集めてる」
マニアなんだな。

 

 良く晴れた土曜日。僕は、ワクワクしながら乾の家に行った。多分、また専門的なものが出てきて、説明されてもちっとも分からないんだろうな、と予想はしていたんだけど。

「お邪魔しま~す」
僕が玄関でにこにこしてそう言うと、乾はため息をついて見せた。

「じゃあ開けるぞ」
乾がガムテープを剥がし、お菓子の缶に手を掛ける。
鈍い音がして、蓋が開く。
覗き込むと、子供向け雑誌のおまけみたいなものが入っていた。
ボール紙で出来たカメラの箱。
「なにこれ?」
乾が無言で黒いビニール袋から小さな紙を一枚取り出し、ビニールのセルみたいなものと重ねて、紙の箱の中にセットする。
そして、小さな庭に出て行き、陽の当たる場所に置く。
「なにこれ?」
「日光写真だ」
「日光写真?これで写真が撮れるの?」
「撮れる、というのとは少し違うが。感光紙の化学反応を使った雑誌の付録だ。
上のネガが下の感光紙に写る」
「なんだ……」
ここ数日、乾が秘密にする缶の中身を凄く凄く楽しみにしていた分、あっけない中身になんだかがっかりする。
「なんだ、とはなんだ!!! 貴重なんだぞ!!! もう売ってないんだぞ!!! あと三枚しか感光紙がないんだからな!!!」
乾が珍しく興奮する。
「分かった分かった。貴重なんだね」
僕がどーどーとなだめる。

 ふーん。これが乾の宝物か。
きっと人とは違うものだろうと予想はしていたけれど。
でも、こんな雑誌の付録を大切にしてるなんて、乾もかわいいトコあるじゃん、と思った。
「青写真、という言葉があるだろう?」
「うん。小説なんかでたまに見るよね」
「これのことだ」
「へーっっ!!!そうなんだーっっ!!!!
青写真って、未来予想図のことだよね。へー、これのことなんだー。ふーん」
勉強になった。

「どのくらい待つの?」
「古い感光紙だからなぁ。五分くらいかな」
「ふーん」
僕達はじっと、庭で日向ぼっこをしながら待つ。

「あ、ほんとだ。写ってる写ってる」
感光紙には、かわいい子供向けイラストが写っていた。色は青というより、青み掛かった淡いグレイだ。
「これ、もらってもいい?記念に」
「あげてもいいが、2、3日で、完全に感光して絵は消えてしまう」
「そうなんだ~。なんか勿体ないね」
「だから貴重なんだ」
乾が強く熱弁を振るう。
「俺の科学的好奇心は、ここから始まった……」
懐かしそうに、久しぶりに開けた缶の中身を乾が見つめる。
「ふーん。これ、一般的な写真と仕組みは同じ?」
「まぁ、大体は。この感光紙は、印画紙と比べれば、物凄く感度の低いものだが」
「僕、写真撮るの結構好きなんだよね。中学の入学祝いにライカを貰ったんだ」
「ライカか。良いカメラだな」
「知ってるの?」
「ドイツの名機だ」
乾は芥川賞は知らないが、ライカは知っていた。
「今度見せてくれ」
「うん。持ってくる」

「乾のお父さん、お母さんって、土曜日もいないの?」
「原則的には休みだが。大体会社に行ってるな」
「本当に二人ともお忙しいんだね」
「仕事がとにかく好きなんだ」
乾がクールなため息をついてみせる。

 缶は再び、感光紙が光りで感光しないように黒のガムテープで密閉される。乾が実験部屋の棚にしまいに行くのを、後ろからついて行く。
お菓子の缶は、再び棚の奥にしまわれる。
きっと、ずっとしまわれたままだな。

「さて。昼の準備をするから、ゲームでもしていてくれ」
「え?そんな別にいーのに………。
僕も何か手伝うよ」
「あとは電子レンジに放り込むだけだから良い。
ゲーム、不二がやりやすいように、少しバージョンアップしておいた」
乾が得意げに言って、僕を実験部屋に置いて、台所がある1階に下りていった。
バージョンアップしたゲームを、僕に見せたいんだな………。
僕はやれやれと、パソコンの前に置かれた椅子に座る。
何がバージョンアップされたのかと思ったら、パックマンの食べる大きい丸い餌が縫い目の入った黄色のテニスボールの形になっていた。

 1ゲームやって、1階に下りる。
良い匂いがする………。

 電子レンジがぐるぐる回っていた。
「なに?」
「見てのお楽しみだ」
チーンという軽快な音がして、電子レンジが止まる。
乾が大きなどんぶりを僕の目の前に置く。
どんぶり一杯の巨大な茶碗蒸し………。
「茶碗蒸し?」
「電子レンジのタイムラグを解消する一皿でお腹一杯になる料理だ」
箸を渡される。一応、いただきます、と言って、箸を入れると中にうどんが入っていた。
「わー、中にうどんが入ってるー」
「関西で小田巻き蒸しといううどんの入った茶碗蒸しだ」
「すごーい。あっ、鶏肉もえびもしいたけも銀杏も百合根も入ってる。随分本格的だね。あ、これなに?お豆腐?あ、お豆腐だ」
「銀杏は、近くの神社で拾ってきたものを、庭に埋めて腐らせて剥いたものだ」
「へーっ。ねぇ、これ僕、一人分?一人で食べちゃって良いの?」
「ああ」
「乾のは?」
「これから電子レンジで蒸す」
「それじゃ、タイムラグを解消したことにならないんじゃないの?」
乾が僕のその発言に、はっと気付き、しばし考え込む。
「そうか………、盲点だった。
しかし、丼は電子レンジに一度に二つは入らない………」
真剣な顔でそう呟く、乾のその様子がおかしくて僕は吹き出してしまう。
「とりあえず、蒸すのにまだ時間が掛かるから、冷めないうちに食べてくれ」
「ありがと。お言葉に甘えて、先に頂くよ」
電子レンジで作る茶碗蒸しは、家で出てくる茶碗蒸しと比べると随分大味だったけど、卵うどんみたいで美味しかった。
「何を飲む?サワードリンクにするか?牛乳にするか?」
「酢と牛乳はもう良い!!!普通のお茶はないの?普通のお茶は!!!」

 月曜日。僕は僕の宝物のライカを学校に持って行って、乾に見せた。 



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