+スイート・クッキー+


 家のインターネットにつながったパソコンで、乾に教えて貰ったピンホール写真について検索してみた。
 沢山のページがヒットした。ピンホール写真を細かく解説した親切なサイトが、沢山あった。
 ネット上には何処かの誰かが撮った、ピンホール写真の作品が沢山展示されていた。写真というより、随分と絵画的で、まるで黒一色のペンで描かれた写実的な細かいイラストのように僕には見えた。パソコンに取り込まれて、反転され、色をつけられた作品は、リトグラフの作品みたいだ。
 僕は色々なピンホール写真を扱うサイトをネットサーフィンして、カメラの作り方や、現像の仕方など、参考になりそうなサイトをいくつかプリントアウトした。

 家中を探してみたんだけど、ピンホールカメラを作るのに適当な大きさのお菓子の缶がなくて、乾に教えて貰って、これを作りたいから適当な大きさのお菓子の缶はない?と、プリントアウトした紙を見せて、母さんに聞いたら、乾にはいつもお世話になっているから、一緒に食べなさいと言って、わざわざ母さんは、有名な店の美味しいクッキーの入った綺麗なお菓子の缶を買ってきた。

 その週の土曜日の午後。
まずは持ってきたお菓子の缶を空にするため、乾の家の縁側に腰掛けて、日向ぼっこをしながら、僕と乾はぼりぼりクッキーを食べた。
庭にはビニールシートと新聞紙が敷かれて、工作用の準備が出来ている。
僕はお茶を飲んで(僕は、牛乳と酢から逃がれるために、自分用の紅茶のティーパックを乾の家に置いている。)、乾はやっぱり瓶の牛乳を飲んだ。
プリントアウトしたピンホール写真の情報を乾に見せる。乾はそれを興味深そうに眺めていた。

「そういえば、乾はインターネットしないの?」
僕は何気なくそう聞いた。
「おうちのパソコン、インターネットにつながってないの?」
「父さんが持ち歩いてる、ノートパソコンからはインターネットにつながってる」
「そっか、持ち歩いてるんじゃ、なかなか使わせて貰えないね」
僕の言葉に、乾が何かを考え込むように黙り込む。
「…………アマチュア無線の資格を取った時に……」
乾がぽつぽつ話を始めた。
「資格が取れて喜んでいる俺に、父さんは本当に無線に必要な資格は、正しいモラルや判断能力やコミュニケーション能力だと言った。
無線は特に、間違った使い方をすれば、沢山の人に迷惑を掛けてしまう可能性が高い。まぁだから資格が必要になってくる訳だが……」
「そうだね。緊急無線とか、警察の無線とか色々あるもんね。いたずらに使ったら、ヒドイことになっちゃうもんね」
乾が僕の言葉に黙って頷く。
「モラルや正しい判断能力、コミュニケーション能力は、沢山の人とコミュニケーションを取って、失敗したり、実際に経験をして、ある程度大人にならないと身につかない。とても時間が必要なことだ。
だから、資格を取ったからって、驕ってはいけないと言われた。
俺がインターネットをやりたいと言った時に、父さんが、ネットには無線みたいに資格は必要ないが、世界各国の色々な価値観を持った知らない人と、コミュニケーションを取るツールである以上、判断能力や責任能力、コミュニケーション能力が俺にキチンと身についてから、大人になってからやるべきだ、と言った。
上手く言えないが、俺はその言葉に納得している………」
「………なるほどね」
責任能力や判断能力のない小中学生が、ネットでいたずらして大騒ぎになってしまうニュースを新聞やテレビで何度か見ていた。インターネットは便利だけど、僕もその言葉に納得する。
「勿論、授業の時とかには触るし、どうしても必要がある時は、図書館に借りに行ったりもするが。
今の俺にはどうしても必要なもの、ではないと思う」
「そうだね。僕にとっても、どうしても必要なものじゃないと思う。
先生も怒るもんね。最近、国語の意味調べとか、辞書を引かずにネットで検索してプリントアウトしてくる生徒が多いって」
「一つ一つ辞書を引くのが楽しいのにな」
「そうだよね。辞書って楽しいよね。ネットの辞書検索だと、その単語の意味しかわかんないけどさ、紙の辞書だと前後の言葉の意味も知れるし。例文も豊富だし、読み物として楽しいよね」
僕は文系で乾は理系だけど、辞書を引くのが楽しいという点で同意する。
僕達にはまだ知らないことが沢山あって、言葉だって、一つずつ意味を知って行くのがとても楽しい。

「手を切るなよ」
「うん。気をつける」
お菓子の蓋に一センチくらいの穴を空ける。まず釘で穴を開け、ドライバーなんかで穴を丸く広げていく。穴のギザギザの部分を工具で潰して、やすりで削る。力のいる、手を切りそうな作業だ。
次に、アルミホイルに小さな穴を丸く開ける。これがいわゆる針穴部分になる。それを蓋の穴を開けた部分に取り付ける。

  光りを反射しない特殊なラッカーで缶の内側の部分を真っ黒に塗る。
ラッカーが乾いたら、印画紙が動かないようにセットするホルダー部分を作る。シャッターの部分になる、針穴の蓋になる部分を作る。
→参考資料

「試し取りしたい!!!」
「まずは暗室を作ろう」
「なんで暗室を作るの?」
「感光しないように、カメラに印画紙をセットしないといけないから」
「あ、そうかー。そうだよねー」
僕は頷いて、2階の実験部屋から浴室を暗室に変える道具を持ってくる。

 浴室の電球を印画紙が感光しない、赤い安全灯に変える。浴室の窓をダンボールで蓋をする。天井から四方に黒くて長い遮光カーテンを掛けて、光りが漏れないように入り口のカーテンの垂れた裾の部分を折って、重石を置いて、光り漏れをチェックする。
ついでにすぐに現像作業が出来るように、バットに現像液と停止液と定着液と、竹で出来た大きなピンセットを用意する。
印画紙のツルツルした面が上になるように、缶の中に印画紙をセットする。

「カメラを2、3分放置できる場所じゃないといけないから、落ち着いた場所が良い」
「そっかぁ。そうだねぇ」
「近くに神社がある。そこにいこう」
「うん」
ピンホール写真のモノクロームに、神社の風景は良く似合うと思う。

 小高い丘の階段を上る。
小さな神社だ。頭上にはお社に続く短い銀杏の並木道があった。
「銀杏を拾わせてもらったのって、ここの神社?」
「そう」
僕はスーパーで売ってる、ツルツルしてる銀杏しか見たことがない。
「僕、スーパーで売ってる銀杏の実しか見たことない。腐らせないと剥けないような、分厚い皮ってどんな皮なんだろうな。一度見てみたい。今度、銀杏を拾いにくる時には僕も連れてきて」
「分かった」
「ねぇ、こういうのって、写真撮っちゃってバチが当たらないかな」
「さぁ。当たらないんじゃないかな」
「とりあえず、お参りしてからにしよっと」
杓子で水を汲んで、きちんと手を洗う。乾も僕につきあって手を洗う。
「あっ、お賽銭持ってこなかった」
「また今度で2回分、入れれば良いんじゃないか?」
「そうだね。写真撮らせて下さいってお願いするだけだもんね」
僕達は二人で賽銭箱の前まで行って、目を瞑って、頭を下げて、「写真を撮らせて下さい」とお願いする。

「カメラ、置ける場所ないね」
カメラを置く適当な場所が見つからない。地面に置いたら、蹴飛ばしそうだし。
「ここは?」
乾が石の灯篭を指差す。穴の空いた部分に、ちょうどお菓子の缶を置けそうな平たいスペースがある。
「こんな所に置いて大丈夫かな」
「ちょっとだけだから良いだろ?」
「そっか、そうだね。何分くらい?」
「そうだな。日陰になってるから、4分くらいかな」
「分かった」
僕はそーっと缶についたシャッター部分の紙で出来た蓋を取る。
乾が、カメラの前をニヤニヤしながらワザと横切る。
「あーっっっ!!!!ヒドイ!!!!」
思わず大きな声を出してしまう。乾はニヤニヤしている。
「前に人が通ると写真、どうなっちゃうの?」
「大丈夫。露光時間が長いから、動くものは写らない」
「そうなの?じゃあ人を撮りたい時はどうするの?」
「それは…カメラの前で動かないようにジッとする」
「えーっっ?」
「大昔のカメラは、今みたいに精度がよくなかったから、30分から一時間くらい動かないようにじっとしていないといけなかったらしい」
「そ、それは大変だねー」
「だから、写真屋には動かないように、人を後ろから固定する器具が充実していたらしい」
「へー」
「今日のトリビア」
得意気に乾が言う。乾は意外にテレビを良く見ている。

 4分が経過して、お菓子の缶の針の穴に蓋をしてまっすぐに乾の家に帰る。そのまま暗室に直行する。
「不二、靴下靴下」
「ああ、そうだった!!!」
指摘されて、慌てて靴下を脱いで、浴室兼暗室に入る。
「ワクワク。上手く撮れてるかな?」
「撮れてると良いな」
冷静に乾が暗室の光り漏れをチェックしながら抑揚のない声で答える。
「もう開けて良い?」
「OK」
蓋を開け、印画紙を取り出す。現像液に放り込み、ピンセットでゆらゆら揺らす。
じわじわと画像が出てくる。
「あ、写ってる写ってる!!!」
「良かった良かった」
「ホントだ!!  前、横切った乾の姿は映ってないね。良かった~」
僕はほっとため息をつく。

 適当な所で停止液に放り込み、30秒ほど待ってから、定着液に移す。
定着液に浸された印画紙をピンセットでゆらゆら揺らしながら、手持ち無沙汰な時間を過ごす。こういう時の待つ時間はとてもとても長く感じる。

 白黒写真って、それだけで絵になる。
神社の風景とマッチして、とても雰囲気のある写真が、贔屓目だけどとても上手に撮れていた。カッコイイ写真。

 新聞紙に置かれた濡れた一枚の写真を、僕はいつまでもニヤニヤしながら見つめていた。嬉しい。嬉しい。小さな頃、初めて、シャッターを自分で切った写真が現像されて来た時も、凄く嬉しいと思ったけれど。
「ねぇ、これもっと撮りたい!!! まとめて撮りに行ったり出来ないかな?」
「どういうことだ?」
「外で印画紙交換出来るようにならないかな?出来たらちょっと遠くに撮りに行きたい!!!プチ撮影旅行」
乾がしばらく考え込む。
「それなりの準備がいるな」
「大変?」
「まぁ多少は大変だな。
ピンホールカメラをセットできるように、三脚を改造しないといけないし。
外で印画紙が交換できるようなモノが必要だな。それは、遮光カーテンを何重にも重ねて、袋状のものを作ればイケルと思う。
あと、撮った写真を感光しないで持ち運べるファイルが必要だろ?」
「うんうん。他は?」
「あと場所を選ばないといけないな」
「場所?」
「下手な場所を選ぶと、多分不審物扱いされる。
だから、明治神宮とか、靖国神社とかはアウトだな。大騒ぎになって捕まりかねない」
「なるほどねー」
僕はふんふんと頷く。
「で、雨天中止だね」
「そう。雨天中止」
「天気予報見なきゃね」
「そんな大型の三脚は要らないから。
秋葉原に行けば、中古で安い三脚が買えると思う。
あと、ユザワ屋とかに行って、黒い布と黒い紙や、黒いガムテープやボール紙を買ってきて……。
予算内で行き先の目処がついたら、場所を調べないといけないし、時刻表や切符の手配をして……」
「ワクワクするね!!!
そうだ!!!高尾山とかどう?」
「あそこは駄目だ。猿にカメラを取られる」
「あ、そうかー。そうだねー。動物はじっとしてくれないしねー」
「ちゃんと撮りたいなら露光計がいるな……」
「僕持ってるよ!!!」
「露光計なんか持ってるのか?」
「ライカ、露光計ついてないから」
「なるほど」
ああ、ワクワクする。こんなに楽しいのはハジメテかもしんない。

「………とりあえず」
「なんだ?」
「もう一枚、写真撮りに行っても良い?」
ぱちんと顔の前で手を合わせて頭を下げると、乾は黙って腕の時計を見る。
「急げば、あと二枚は撮れるな」
「わ、じゃあ急がなきゃ!!!」
僕はばたばたと浴室兼暗室に飛び込み、印画紙をお菓子の缶にセットした。  



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