+ウォーキング・ツアー+


 待ち合わせは、乾の家の最寄駅のホーム。
 約束の時間よりちょっと早く行ったら、もう乾はホームにいた。
 「晴れたね」
 僕は嬉しくて嬉しくて、にこにこしながらそう言った。
 「晴れたな」
 乾の平坦な声で返事が返ってくる。
 「雨降らないか、心配しちゃった」
 六月の終わり。まだ梅雨の真っ只中だった。



 僕達が決めた行き先は鎌倉。
 新宿からの江ノ島・鎌倉フリーパスと市内のバスとJR横須賀線(鎌倉~北鎌倉間)を自由に乗り降りできる鎌倉フリー切符を買った。
 順番に窓口に並んだら、僕だけ子供用の料金を請求された。
 ムッとした僕は、「中学生です!!」と言い返して大人料金を払った。
 それを後ろで見ていた乾がこらえたように笑っていた。むかつく~。


 土曜日の朝早い電車は空いていた。
 小田急線で新宿から相模大野で乗り換えて、藤沢まで一時間ちょっと。
 藤沢から江ノ電で江ノ島で乗り換えて北鎌倉駅まで約四十分。
 ちょっとした旅行だ。
 六月の鎌倉は紫陽花が綺麗だってガイドブックに書いてあった。僕は沢山の紫陽花というのを、一度見てみたかった。



 北鎌倉駅で降りた僕は、まずは記念に駅の写真を撮った。
 日陰に行って、乾が袋の口を押さえて、僕が袋に腕を突っ込んで、連携プレイで印画紙を交換する。
 そして僕達は、朝の涼しいうちに有名なお寺を順に回る。
 一番近い円覚寺。その次は、紫陽花の綺麗な明月院。建長寺。浄智寺。東慶寺。
 お菓子の缶を抱えてる僕達を見て、すれ違う人みんなが、不思議そうな顔をした。
 僕は秘密を抱えているみたいでドキドキした。それは何かと聞いてくる人が何人かいて、その度に乾が丁寧に説明した。お菓子の缶で写真が撮れる、という言葉にみんな感心する。
 乾はちょっと得意げだった。僕は先を急ぎたかったし、乾と僕の秘密にしておきたかったのに。
 知っている人は「ピンホールカメラか、懐かしいな」と声を掛けてくれた。
 僕達は露光を計り、三脚にピンホールカメラをセットし、ストップウォッチを睨んで、次々と写真を取った。


 北鎌倉駅周辺を一通り回り、鎌倉駅に移動する。
 時間は昼をとっくに過ぎていた。次の目的地は銭洗弁天だ。
 「お腹すいたねー」
 僕は何気なく言った。
 「そろそろお昼にするか」
「そうだね」
「この近くに、源氏山公園がある。そこにしよう」
「公園?」
「弁当を作ってきた」
 乾が得意げに言う。
 「え?お弁当わざわざ作ってきたの?」
 僕はすっかりお昼のことを忘れていた。というか、どこかのファーストフードで済ませればいいと思っていた。いつものように。300円分のお菓子はちゃんと買ってきたのに。
 「遠足と言えば弁当だ」
「そ、そう。僕、持ってきてないよ。お弁当なんて。どこかで買ってこなきゃ」
「大丈夫。不二の分も作ってきた」
「そ、それはどうも……」
 乾のリュックサックがキャンプに行くみたいに大きかったのはそのせいか………、と納得した。


 公園の水飲み場で手と顔を洗った。
 そして公園の芝生にビニールシートを敷いて座る。
 乾の作ってきたお弁当は、沢山のおにぎりと大量の鳥の空揚げと卵焼きとウインナーだった。
 「すごーい……」
 僕は途方にくれて呟く。凄い量だった。


 大きなおにぎりを一つ渡される。
 「頂きます」
 と言って一口かじる。
 「ん? このおにぎりなんかすっぱい!!!」
「酢をつけて握った」
「また酢~?」
「腐敗防止だ」
 乾が当然だという顔をして言う。
 「どうせご飯も酢を入れて炊いたんでしょ?」
「当然だ」
 「酢を混ぜて炊いて、酢をつけて握ったら、おにぎりじゃなくてもう寿司じゃん!!!」
「体に良い」
「分かってるよ。酢が体に良いのは!!」
 僕はこの間、あるある大辞典の「酢特集」のビデオを見させられた。
 おにぎりの具は、ご丁寧に梅干だった。腐敗防止は万全。
 僕がため息をついていると、魔法瓶からコップに何か液体が注がれ、渡される。
 「また酢?」
 僕はまずくんくんと匂いをかぐ。
 「違う。ちゃんとお茶」
「なんだ。お茶か……」
 僕は安心して一口飲む。乾いた体に冷たいお茶が美味しい。
 「ルイボスティーは抗酸化性を持つフラボノイド類が多くて体に良い」
 …………ルイボスティーブーム………。

 おにぎりはすっぱかったけど、空揚げも玉子焼きも美味しかった。
 「でも乾凄いねー。空揚げなんか作れるんだねー」
「簡単だ。空揚げ粉を使った。まぶしてあげるだけ」
「空揚げ粉?」
 …………どんな粉なのか想像がつかない。


 「食後のデザートも用意した」
「デザート?」
「バナナ」
 目の前にバナナが突き出される。
 「バナナはおやつに含まれないんだね………」
 僕はため息をついて、そう言った。
 乾の言動は、ボケなのか本気なのか分かり辛い。


 お腹いっぱい食べて寝転がると、凄く気持ちよかった。
 空は高くて、いろんな形の雲が流れてる。
 「んー、気持ちいーい。このまま寝ちゃいそーう」
「ここで寝たら、日が暮れる」
「そうだね。写真取れなくなっちゃうよね。でも10分だけ~」
 僕は目を瞑る。頬を通り過ぎていく風が気持ち良い。
 いつまでも僕はこうしていたいと思ったのだけど、きっかり10分で乾が仕掛けたストップウォッチのアラームが目覚ましみたいに鳴り響いて飛び起きた。



 銭洗弁天に行って、写真を何枚か撮ってから、財布の中の小銭をじゃぶじゃぶ洗った。

 それからバスに乗って、今日のメインである鎌倉の大仏がある高徳院に行った。
 大仏様の前は凄い人だった。修学旅行生みたいな学生達がいっぱいいた。
 「すごーい………」
「さて、大仏様の全体像を取るには何メートル離れれば良いでしょう?」
「え?そんな急に言われても分かんないよ」
「ヒント、大仏様の高さは高さ13.35m」
「そんなヒント出されても分かんないって!!!」
「計算すれば良い」
「計算しても、何メートル離れてるかなんて、正しく図れるメジャーがある訳じゃないし分かんないもん。いいよ、何枚か取れば、一枚くらい当たるでしょ」
 僕はそう言って、とりあえずその場に三脚を立てる。
 「不二は大雑把」
「乾がイチイチ細かいの!!!」
 乾は首をひねりながら、歩幅で距離を測ったりして、大仏様の写真を撮っていた。
 僕は大雑把に、下がってみたり、前に五歩進んでみたりしながら写真を撮る。
 僕達がお菓子の缶を構えて、写真を取ったり、黒い袋に腕を突っ込んでじたばたしていると、じろじろ見られて笑われたりして恥ずかしかった。
 日が傾き始めていた。僕は気が済むまで写真を撮って、20円払って、大仏様の中を見学した。
 もうそろそろ家に帰らなくてはいけない時間だ。


 「あっそうだ!!」
「なんだ?」
「僕達の写真撮ってない。記念に撮ろうよ!! 一枚くらいまだ撮れるでしょ?」
 ベンチを見つけたので、その前に三脚を立て、カメラを設置する。
 「乾、そこに座って」
 乾をベンチに座らせ、カメラを向ける。
 「いーい?動いちゃ駄目だよ」
「お前もな」
 乾がストップウォッチを三分間セットする。
 「うん。じゃ、行くよ!!それ!!」
 僕は、ピンホールカメラのシャッターである蓋を開けて、ダッシュで乾の隣に座る。無意識に隣の乾の手をぎゅっと握ってしまった。
 手を握る必要はなかったな、と次の瞬間、気づいたけど、動いちゃ駄目だと思って僕はそのまま乾の手をずっと握っていた。
 三分間は長い。僕はなんだか噴き出してしまいそうになるのを必死でこらえてじっとする。
 ストップウォッチが鳴る。僕はまたダッシュでカメラまで走って蓋をする。



 「ふーっっ」
 僕は大きくため息をつく。
 「ちゃんと撮れてるかな」
「撮れてると良いな」
 乾はあんまり感慨もなさそうにそう言った。
 三脚を畳み、カメラをカバンしまう。旅行はおしまいだ。
 「今日は歩き回って疲れたね~」
「そういう時にはこれだ」
 乾の大きなリュックサックからさっきとは違う魔法瓶が出てくる。
 「今日はレモンだ」
「また酢か………」
「ハチミツ入り」
 なみなみとコップに注がれて渡される。
 しぶしぶ飲んだけど、冷たいハチミツレモン味のサワードリンクは美味しかった。


 翌日、朝から乾の家に行き、撮った写真を現像した。


 写真の中の僕達は、手をつないだまま、困ったようにぎこちなく笑っていた。        

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