+涙の半分+

 本当にガキの頃は、試合に負けると悔しくて悔しくて派手に泣いた。
 小学校の低学年の頃は、体が小さくて、学年が上の選手と当たると、パワーでまるで適わくて結構な頻度で負けた。
 勝ちたくて勝ちたくて仕方がなかったけど、まだ自分が人と比べて上手いとかは考えなかった。
 ただ勝ちたくて、負けると悔しくて、みっともなくぎゃーぎゃー泣いて、最初慰めたりしていた大人達も、たいてい最後には怒ってそのまま放っておかれた。それでも俺は泣いた。
 小学校の低学年の部では、試合に負けて泣く奴はそんなには珍しくなかったので(高校球児だって、試合に負けると大抵泣いているくらいだから)、比較的「普通の子供」の反応だったと今から思うと自己弁護するしかない。

 

 アイツに会ったのは、そういう俺がものすごくガキだった頃だ。
俺が、ぎゃーぎゃーみっともなく泣いて、大人達がいつまでも泣き続ける俺に匙を投げて何処かに消えた後で、いつの間にか隣にいたアイツは、俺の頭を黙っていつまでも撫でてくれた。
誰かに頭を撫でられたことに気づいて、顔を上げて目が会うと、にっこり天使みたいに笑った。
最初、可愛いオンナノコだと思ってしまったのて、鼻水まで垂らして泣いているのが恥ずかしくなって、慌てて顔をぬぐって余計に顔をぐしゃぐしゃにした。
アイツはくすくす小さく笑って、ポケットから出したハンカチで、丁寧に俺の顔を拭いてくれた。そうして俺の頭をまた撫でた。
俺はなんだかまた泣きたくてどうしようもなくなって困ってしまった。堪えようと思ったんだけど、涙は自動的に落ちて行った。
アイツはにっこり感じよく笑って、俺の頭をずっと撫でてくれた。ずっと側にいてくれた。
俺の所属していたテニスクラブの大人達が帰るぞと俺を呼びに来るまで、アイツの弟らしいちびっこいのが、アイツを呼びにくるまで、ただ一言も言わずに泣く俺の側にいてくれた。

 その後、大会などの表で名前を知って、アイツが男だと知った。
「不二周助」
それがアイツの名前。
ちょっとだけがっかりしたことを覚えてる。

 

 俺の試合の時、何も言わなくてもいつもちびっこいのを連れたアイツがギャラリーの中にいた。俺が試合に勝って、目が会うと嬉しそうにニッコリ笑った。
コートを出る時、
「良かったね」
とにっこり笑って俺に声を掛けた。俺はそれにピースで答えた。

 俺が負けた時は、ギャラリーを振り返ると心配そうな目をしていつもじっと俺を見つめていた。
そうして、テニスクラブのコーチに試合の反省点を指摘され、すでにぼろぼろ泣いている俺がしゃがみこんで泣いている隣にやってきて、同じようにしゃがみこんで、何も言わずににっこり笑って、俺の頭をいつまでも撫でてくれた。

 

 そのうち俺も大きくなって、試合に負けて泣くことが恥ずかしいことだと知り、隠れてこっそり泣くようになった。
ギャラリーにはいつもアイツがいて、俺の試合を真剣な顔でじっと見ていた。
俺が勝つと、満面の笑顔で俺を迎えてくれて、負けると心配そうなあの目でじっと俺の目を見つめた。

 

 泣かずにいようとすると、ふてくされた顔になってしまうので、テニスクラブのコーチは反省点を指摘する間、ふてくされた顔の俺に、「子供らしくなくて可愛くない」と言った。
俺はその発言に対してむかついて、抗議をするんだけど、(子供らしいっていうのは何のことを言うのだ?)せっかく試合の反省点を注意してやっているのにと余計に怒られた。
こんな奴、いつか絶対テニスで負かしてやる、といつも思っていた。
俺は勝つ。絶対に。

 

 俺がこっそり、次の同じテニスクラブの奴の試合の応援などから抜け出して、人目のつかない所を探して悔しくて泣いていると、必ずアイツが俺を探し回って息を切らして、俺をなぐさめに走ってやってきた。
そうして黙って隣に座り込み、俺の頭をずっと撫でてくれた。

 俺達は一緒になって、試合の見学を抜け出して遊んでいると大人達に思われていて「自分達の試合が終わったからって遊んでばかりで」と良くそれぞれのコーチに叱られた。
俺はふてくされて何にも言わなかった。不二はその度に何度もごめんなさいと言うけれど、何をしていたんだという質問には答えなかった。
不二は俺が隠れて泣いていることを秘密にしてくれていた。そういうことをいちいち言わなくても、黙って察してくれる奴なのだ。

 

 小学校も高学年になって、体が大きくなると、俺はもう誰にも負けなかった。
俺は体格にも恵まれ、テニスの才能もあった。
それでも試合に勝つ度に、ギャラリーを振り返ると不二の姿があって、目が合うと嬉しそうににっこりと笑った。
たまに試合で当たる時もあった。不二は上手いけど小学校高学年になってもまだ誰よりも小さくて、俺は不二に負けることはなかった。
自分が試合に負けた時も、不二はニッコリと笑って、俺と握手して、
「強いね!!!」
と嬉しそうに言った。
俺は多分、今でも負けた相手にそんなことは言えない。

 

 中学生になって、お互いに学校の部活に所属すると、そんなにお互いの試合を見ることも、当たることもなくなった。
他校との練習試合に勝って、ギャラリーを振り返っても不二はいない。
分かっているのに、俺は試合を勝つ度に、無意識にアイツの姿を探した。
ギャラリーは増え、応援の規模も大きくなった。それでも、何か物足りなく感じた。

 

 一年生の時は、お互いにレギュラーではなかった。
二年生になって、不二も俺もレギュラーになったけれど、練習試合は組まれなかったし、大会では、地区が同じなので、試合に当たることがあったけれど、直接、試合で当たることはなかった。
俺も勝ったし、不二も勝った。
敵チームなのに、不二は俺が勝つと昔と同じようにニッコリ笑って見せた。

 俺は子供の頃から、勝つことにとても執着した。
そして、勝つためならば、手段は選ばなかったし、強いということをそういう意味だと思っていた。
三年生の関東大会一回戦、俺は不二のいる青学と当たり、長い長い試合の末、俺はゲームには勝ったけれど、ちっとも嬉しいと思えなかった。
相手チーム側のアイツを見ると、アイツは俺が負けた時と同じような、心配そうな目をして、じっと俺を見つめていた。

 

 俺個人は試合に勝ったけれど、最終的に団体戦で負け、中学でのテニスは、それでオシマイになった。
それ自体は、そんなに大したショックではなかったし、負けた仲間を責める気にもならなかった。

 

 それでも何だか一人になりたくて、昔、隠れて泣くためにこっそりやってきた建物の裏にやってきて、壁に背をつけて座って空を見上げた。
空は高く、果てがなくて、俺はため息をついた。
うつむいて、なかなかまとまらない頭の中を整理していると、誰かがやってきて、俺の横に立った。
「何の用だ?言っとくがな、俺個人は勝ったんだからな」
俺がヤケになってそう呟くと、
「うん」
という言葉が振ってきた。
「じゃあ、何をしに来たんだ? 青学は、今、打ち上げをやってんじゃないのか?」
「………抜け出して来た」
「俺に同情したのか?」
「ううん」
「じゃあなんなんだ?」
「君が、泣きたいんじゃないかと思って」

「………馬鹿にすんな」
「ごめんね」
「俺は勝ったんだぞ」
「うん。君は強いよ」
不二が隣に座る。少しだけ顔をあげると不二と目が合う。不二はにっこりと優しく笑う。
「君は、本当に強いよ」
不二は感じよくそう言った。
「怒ってるんじゃないのか?」
「何を?」
「お前のチームメイトに、俺はひどいことをしたんだぞ」
「そうだね」
不二がヒトゴトみたい呟く。
「そうだねって」
「見てて辛かったよ。ホントに」
「…………すまなかった」
「謝ることじゃないよ。それが試合なんだから」
不二は遠くを見たまま、なんでもないようにそう言った。
「しばらく、復帰できないだろうな」
「そうだね。確かに手塚は傷ついたけど……」
「怒らないのか?」
「だって、君も十分傷ついたでしょう?」
不二はとても優しくそう言った。

「馬鹿にすんな」
右のまぶたの辺りが痛んだので、手を目にやったら、一粒だけ涙が落ちた。
「ごめんね」
不二はそう謝って、昔と同じように俺の頭を撫でた。