+PAPPY+

「あいたたたた~。う~、おなかいた~っっっ!!」
「おなか冷やしたん?」
英二が御腹を抱えてしゃがみこんで派手に騒ぐ、不二の顔を覗き込む。
不二周助、中学一年生の夏。部活後のコートやグラウンドを片付けるのは一年生の当番だ。一年生がコートの整備を終え、部室にたどり着く頃には、先輩達はとっくに帰ってしまっている。一年生しかいない帰りの部室はいつも賑やかだ。
「わかんない~。ずっと我慢して部活してたの~。エライでしょ~?」
「うん、エライエライ」
英二が投げやりに返事をしながら、自分の着替えを続行する。
「いたたたた。ほんと痛い。マジで痛い。ううーっっっ」
「あんま痛いんなら保健室にでも行ったら?」
「もう保健の先生、絶対帰っちゃってるよ~。痛い~。あいたたたた~」
その時、頭を誰かに撫でられた。顔を上げると、一度も口を利いたことがない手塚だった。
手塚は、入学式で新入生挨拶をした。新入生挨拶は毎年トップの成績で入学した者がすることになっていた。
テニス部に入部し、抜群にテニスが強かった。文武両道。話しかけても、返事すらしない。クールで無口で無愛想。同級生からは一目置かれるというよりも、得体が知れない奴として変人扱いされていた。
そんな彼が、「不二の頭を撫でる」という彼らしくない行動を取ったことで、その場の空気は凍りついた。皆が、見てはいけないものを見た、信じられない光景に瞬きすらできないでいる。
そんな空気を察する風でもなく、手塚は無言で不二の頭をよしよしと撫でる。
「……………あ………ありがと………」
とりあえず不二が呆然としたままお礼を言うと、手塚は顔色一つ変えずに、スポーツバックを抱えて部室を出て行った。
手塚が消えた後の部室は、騒然となった。
『………お………面白い…………』
不二は心の中でそう思った。

 

 手塚も誤解されやすいタイプだが、不二も誤解されやすいタイプである。いつも笑顔のその裏に、何かどす黒いものがあると他人に勘ぐられやすいのだった。
不二が今日も手塚のいる教室に走ってやってくる。教室の雰囲気はさっと静まり返る。
「ねぇねぇ、僕、社会のテストの点数97点だったんだけど。手塚はどーだった?」
不二が自分のテストの答案用紙を手塚に見せる。手塚は黙って、さっきの授業で返してもらったばかりのテストの答案用紙を不二に見せる。
「あ~っ。100点か~。今回は勝てたんじゃないかと思ったんだけど。ちぇ~っっ。
じゃあまたね~っっ」
不二がそれだけを言って、笑顔で手を振って去って行く。その場に居合わせた手塚のクラスメート達が一斉にため息をつく。
「あ~っっ、怖かった……」
「ほんと、不二の奴、すげー手塚にライバル意識バリバリだよな~。こえ~っっっ!!!」
「あの笑顔が怖いよなぁ…。腹の中に何溜め込んでるんだか……」
手塚と不二は、青学のナンバーワン、ナンバーツーといわれている。不二が一方的にテニスでも勉強でも手塚の一番の席を狙っているというのは有名だった。不二はテストや運動で良い成績を取ると、必ず手塚にその成績を見せに来た。
同級生は、そんな不二を怖いというが、手塚は不二がそんなに怖くなかった。
手塚には尻尾を振って走りよってくるようにしか見えなかった。
不二は、手塚が昔、飼っていた犬のコロに似ている、と手塚は思う。(赤毛のところとか。)
不二が御腹が痛いと、御腹を押さえてしゃがみこんでいる姿が、あまりにも、コロに似ていたので、思わず手が出て頭を撫でてしまったほどだ。

 

 国語などは不二の方が得意なので(手塚は、登場人物の心情を読み取る問題が苦手だ。)、不二の方がテストの成績が良い場合がある。
そういう時、不二は、とても嬉しそうに笑って、
「凄いでしょ~。褒めて褒めて~」という。
手塚は仕方ないので、
「ああ、凄いな」
と答える。
不二は、しばらく何かをねだるような顔をして待った後、
「それだけ?」と聞く。手塚が返事に困っていると、肩を落として帰って行く。その後姿に、手塚はまたボールを投げさせて、取って来て、ボールを自分に渡した後に、自分からボールを手塚に渡したくせに、ボールを取られたとしょげて見せたコロを思い出す。

 だが周りの皆が、不二が自分を敵視している、怒っている、嫌っているというので、そういうものなのか、とも思っている。
手塚は人の感情や心情を読み取るのが苦手で、苦手であることを自覚している。
皆がそう言うのならば、そうなのかもしれないと思う。手塚は喋ったことのない人に誤解されたり、一方的に嫌われたりすることになれている。

 不二は成績のことだけじゃなく、くだらないことも手塚にわざわざ伝えに来る。
「今日、僕、38℃も熱があったけど、学校に来たんだよね」
不二はいつもより赤い顔をして、にこにこしている。
「そうか………」
手塚はどう返事したら良いものなのか分からない。
「エライでしょ?」
「…………帰った方が良いんじゃないのか?」
それを聞いた不二はがっくりと肩を落として、無言で教室を出て行く。

「ほんと、不二ってくだんないことまで手塚と張り合うよな~。不二の奴、皆勤狙ってるんだぜ~」
クラスの誰かの声が聞こえる。
皆勤。そうなのか……。手塚はヒトゴトのようにふ~ん、と思う。
「不二は来年の二年生代表の挨拶を狙ってるらしいからな!!!負けるなよ!!!手塚!!!」
中学生はつまらないことにも勝負を見出し盛り上がる。同じクラスというだけで、クラスメートは手塚の味方である。
手塚はあまり、人前で話すのが得意ではないので、代わってもらえるものならば代わって貰いたいと思っている。
手塚は一番に拘っている訳ではない。たまたまいつも一番なのだ。でもそれを言うと、嫌味に取られることも分かっているので黙っている。

 

 テストの上位の成績の者は、廊下に成績が張り出される。
手塚と不二の攻防戦は学年全体のホットなニュースでもある。手塚が移動教室で廊下を歩いていると、前方に張り出された成績表を見上げる不二がいる。手塚と不二が顔をあわせたことで、その場は突然緊迫感を増す。
「あーあ、また負けちゃった」
不二がへらへら笑いながら、手塚に話しかける。
「……………」
手塚はなんと答えたら良いのか分からないので返事が出来ない。
余計にその場の周りの空気は凍りつく。
「次は勝てるように頑張るよ」
不二がにっこり笑う。手塚は黙って頷く。それを見て、不二はふふふっと笑って、自分の教室に機嫌良さそうな顔をして戻っていく。居合わせた同級生達が一斉にため息をつく。
「あ~。怖かった~」
手塚は相変わらず皆が、不二の何を怖いと言うのか分からない。
「大変だよな~、手塚も。勝手にライバル視されちゃって」
「……………」
手塚はそんなに大変だとも思わなかったし、自分がライバル視されてるとも思えなかった。
「ほんと、同情するよ」
「……………」
同情………。
手塚は、自分があまり勘が良くないこと、場の雰囲気が読めないことは分かっているので、自分の感覚にはそんなに自信がないが、それでも不二に敵意を抱かれているとは感じなかった。
不二は、何も言わなくても自分の気持ちをいつも分かってくれた、昔飼っていたコロに似ている。ますます似てきているように感じる。
最近手塚の頭の中で、コロの姿と不二の姿が被る。
褒めてくれ、撫でてくれと手塚が放り投げたボールを取ってきて、自分に渡すくせに、撫でている時は嬉しそうなくせに、その後、しょげた後姿を見せて去って行く、コロに似ている。褒めてくれとやってきて、手塚にエライな、と言わせて、がっかりした顔で帰って行く所なんか本当にそっくりだ。
勿論、そんなことを言ったら、普通の人間は怒るだろうことは手塚も分かっているので黙っている。
たまに、コロと同じ色の赤毛に手が出そうになる時があるが、手塚は我慢する。

 

 不二は裏表があるように見られるが、どちらかというと単純な人間だった。
彼は、「面白いもの」が好きなのだ。
不二にとって、手塚の予想できない突拍子のない反応は単純に面白かった。
あの生真面目な顔で、にこりともせず人の頭を撫でる様子がとてもおかしかった。
不二はもう一度、その手塚の姿が見たかった。頭を撫でてもらいたかったのだ。

 

 不二は一日に一回は手塚の教室にやってくる。そして、一方的に何かを話して去って行く。

「あのね。僕、四年に一回しか年取らないんだよね」
「……………」
不二はにこにこしながら手塚に話しかける。手塚は、どう返事をしたら良いものか分からないので、大抵黙って聞いている。
「2/29日に生まれたんだ。だから、四年に一回しか誕生日が来ないの。
珍しいから、皆に一回で覚えてもらえるんだけど、誕生日自体が来ないから、プレゼントももらえないんだよね。
ほんと、僕って、カワイソウだよね~。いつもあげるばっかりなんだよ」
手塚は不二から誕生日に、文房具のプレゼントを貰っていた。(それも周りから牽制だの、賄賂だの言われた。)
二年生の三月になっていた。不二の誕生日(の近く)はとっくに過ぎていた。
「まぁ良いんだけどね。プレゼント、貰うよりする方が好きだしね」
手塚がまともな返事を返さないので、不二の話はいつも一人で完結していた。
「あ、プレゼントを要求した訳じゃないよ? 僕ってカワイソウだよね、って話。ほんと僕ってカワイソウだよね~」
不二が手塚の同情を引くようにちょっと哀しそうな顔を作って、そう繰り返した。
お預けを食らった時に、哀しそうな顔をしてみせるコロにそっくりだった。手塚は不二を見ていると、頭が撫でたくなってウズウズする。
「カワイソウだと思わない?」
不二が改めて手塚に聞く。手塚は頭を撫でたくて仕方がなくなったので、不二の頭を撫でた。
手塚と不二の様子をうかがっていた、周りがわっとどよめく。
手塚は顔色一つ変えず、不二の頭をくしゃくしゃに撫でる。
「怒るぞ怒るぞ、不二絶対怒るぞ………」
周りが小声で囁く。
「えへへへっっ。ありがとっっ」
不二はくしゃくしゃになった自分の頭を掌で覆って、上機嫌で帰って行く。
「………なんだあれ?」
「……毒気抜かれたんじゃない?」
クラスメートが囁く。手塚は自分の掌を眺める。やわらかいふわふわの毛も、コロによく似ている。

 

「数学のテスト100点だった!!!手塚はどうだった?」
不二は今日も手塚の教室にやってくる。
手塚は無言で不二の頭をエライエライと撫でてやる。