+Hysteric Blue(1)+

 誰もいない部室で着替えていると、ガチャッという音がして振り向くと不二がいたので、驚いた。
 それが思いっきり顔に出ていたらしく、不二が俺の顔を見て、思いっきり不機嫌な顔で睨む。
「女子の部室はあっちだって言いたいの?」
 不二はそうとても嫌味な口調で言った後、バーンとわざと大きな音を立ててドアを閉めた。俺は条件反射的にびくびくする。なんで俺は、部長なのにこんなにびくびくしてないといけ ないんだ!!と思うがこいつには逆らえない。
 不二は体全体から不機嫌オーラを出している。
 不二はいつもニコニコして人あたりが良いと言われているが、俺にだけはいつもこうだった。
 俺が一番最初に、言ってはいけないことを言い、彼の機嫌を損ねたことから全ての憂鬱が始まったのだ。

 

「女子の部室はここじゃないぞ」
一年生のために用意された、一週間の部活見学期間の二日目。
初日には、前々から入ろうと思っていたテニス部に入部届けを出し、新入部員として早く行き、ボールの準備をしようときた俺の目の前で、テニス部室のドアをノックしようとしてい た体操服姿の女子生徒にそう声を掛けた。
亜麻色のさらさらの髪に華奢で細い手足。振り向いて驚いたように目を見開く表情が愛らしくてドキッとする。絵に描いたような美少女だ。クラスにいたら絶対に高嶺の花になるタイ プの。
その女子は俺に向かって、にっこりと微笑んだ後、キッと俺を睨み、
「ご親切にどーも!!!」
と怒鳴って、大きな音をたてて部室のドアを開け、バーンと激しく音をたてて締めた。
その女子生徒が男子の一年生の色である、緑色のラインの入った体操服を着ていたことに気付いたのは、その後だった。

 女子生徒に間違われるのは不二にとって逆鱗であったらしく、不二はそれ以降、俺を敵に決めたようで、俺以外の同級生には人当たりよくいつもニコニコ対応するのに、俺にだけキツ く当たった。俺は悪意をぶつけられることになれていないので、結局いつもビクビクして不二の顔色をうかがうことになった。
不二はあんな大人しい顔をしている癖に負けず嫌いで、テニスもあの小柄な体格で誰もがびっくりするくらい上手く、勉強もよく出来た。
一年生がボール拾いばかりでコートを使わせて貰えなかった期間はまだ良かったんだけど、練習試合で不二と当たって、俺が勝ってから。中間テストの成績の発表で、俺が1位で、不 二が二位で発表され、テニスでも勉強でも、俺がナンバー1で、不二がナンバー2だと人に言われるようになってから、不二の俺への敵意は凄まじくなって行った。

 懐かしの番組とかで見る、大魔人の変身を、第三者がその場からいなくなり、不二の顔が感じの良い笑顔から、恐ろしい形相に変わる度に思い出した。
不二は誰にも気付かれないように、隙を狙って俺を睨み、ガンを飛ばし、二人きりの時は、不機嫌オーラ全開で、敵意を剥き出しにして、俺をねちねちといびった。
俺はそれに対してどんな顔をしたら良いのか、どう対応したら良いのか分からない。俺はどちらかというと、無口で無表情な方だから、怖がられる方だし、そんな俺に向かって、正面 からガンを切る奴は今までいなかった。
不二は俺なんかよりずっと小さくて、あんな可愛らしい顔をして、真正面から怯むことなく俺を睨むのだ。俺はこんなことは初めてなので混乱する。

 

 一年生の合宿の時、利用した合宿所は食事が自炊で、一年生である俺と不二は二人で買出しに行かされた。
一年生の時の不二は、本当に小さくて色が白くてクラスのどのオンナノコよりも本当に可愛かった。口を開かなければ。
先輩の命令だから仕方なく買出しに行ったのだけど、俺は最初から気まずくて怖くてビクビクしていた。合宿に使われた地方の田舎の商店街でも、都会の垢抜けた雰囲気の華やかな不 二はとてもよく目立った。地元の中高生が振り返り、隣を歩く俺を見て「彼氏か」と舌打ちする。隣の不二が機嫌をどんどん損ねて行くのが肌で感じられた。

「お嬢ちゃん彼氏に料理作ってあげるの? こんな可愛い彼女がいて良いねぇ、彼氏」
小さな商店街の小さな雑貨屋で、カレーのルーを選んでいると、店のおばさんにそんな風に声を掛けられる。俺はぎょっとする。不二を見ると、不二はカレーのルーの箱を睨んだまま だ。不二が黙って怒っていることが俺には痛いくらい分かる。
「いや、違います。中学の部活の合宿で」
と俺がフォローのつもりでそう言うと、
「そう、彼女はマネージャーなんだ。沢山の人数分の料理を作るんじゃ大変ねぇ!!」
人の良い笑顔を浮かべて、おばさんは同情的に言う。俺には不二の頭に角が生えているのが見えた。
合宿に参加している人数の30人分のカレーを作らなくてはならない。その店に並んでいたカレーのルーを全部買って、領収書を切って貰う間に、不二は店を出て行く。俺が慌てて、袋 を持って店を出た所で、持っていたビニール袋を不二に奪われる。
不二が肩を怒らせて、ずんずんと先を行く。二件先の肉屋で、ニキロ分の一番安い豚の細切れを頼むと、肉屋の店員が、
「お嬢ちゃん可愛いから、おまけしとくよ」
と機嫌よく言った。俺は心の中でやめてくれ~と叫んだ。不二は黙って怒っていた。
不二が包んでビニールに入れて貰った肉を受け取る。
「彼氏、気が利かないね。彼女の荷物もってあげなきゃ」
と店員が俺に声を掛ける。反射的に不二にばかり持たせては悪いと不二のもっているビニール袋を受け取ろうとすると、フン!!と先へ行ってしまった。俺はお金を支払い、領収書を切 って貰ってから、慌ててそれを走って追いかける。
何とか追いついても、不二は振り向かず、肩を怒らせてずんずん歩いていくので、
「よ、良かったな。オマケしてもらって…」
と、俺はまた墓穴を掘るようなことを言った。
それを聞いて不二は振り返り、ギロッと俺を睨む。俺はビクッと震え上がる。
「僕はね……オンナノコと間違われて、嬉しいなんて思ったことはないんだよ……」
不二はそうとても嫌味な口調で言うと、店先に野菜を並べている八百屋で立ち止まり、にこっと笑顔を作って(不二の社会性が第三者に向かって笑顔を作らせる。)、じゃがいもとにん じんと玉ねぎを選ぶ。
「随分、沢山必要なんだねぇ」
愛想良く、八百屋のおばさんが言う。
「近くで部活の合宿をしてるんです」
不二が愛想良く答える。
「中学生?」
「そうです」
「マネージャーさんは大変だねぇ。オンナノコ一人でそんな沢山の人数の食事を作ってあげなきゃいけないなんて。ほら、君、男なんだから君が荷物持ちなさい」
おばさんが俺を手招きして言う。俺がそれを受け取ろうとすると、ビニール袋が四つになり、総重量は10キロを超えただろうカレーの材料を、不二が持ち上げて、先へ行ってしまう。 俺は怪訝な顔をするおばさんに金を払い、領収書を切ってもらい、
「あいつ、あんな顔してるけど男なんですよ」
と小さな声で言うと、
「まぁ!!!あんな可愛いのにオトコノコ?」
と八百屋のおばさんは派手な奇声を上げ、それがばっちり聞こえていたらしい不二の後ろ姿の肩は、さらに15度上がった。
俺は慌てて追いかける。不二は真っ赤な顔で、ふーふー言いながら、肩を怒らせてその荷物を運んでいる。
「手伝うから」
と声を掛けたけど、不二は返事をしなかった。真っ赤な顔で汗をかきながら、うんうん言いながら買い物袋を運んでいる。
俺は何だかおかしくなって、ぷっと吹きだすと、不二は振り返り鬼の形相で俺を睨む。

 不二は結局、合宿所まで、人々の注目を集めながらその荷物を運んだ。俺は隣にいて、どういう態度でいれば良いのか分からず、恐る恐る声を掛けて余計なことを言って、不二を余計 に怒らせたりして、結果的に3歩後ろをびくびくしながらついて合宿所に戻った。

 不二は思ったより不器用で、じゃがいもを剥くのも、皮を剥いたら身がなくなりそうなくらいだったので、
「思ったより不器用なんだな…」
と言ったら、
「どう思ってたって言う訳?」
と睨まれた。
黙っていよう、気をつけようと思うのに、俺はいつも一番悪いタイミングで、不二に余計なことを言ってしまい、怒らせてしまう。
不二の作ったカレーはもの凄く辛かった。不二は上級生からもアイドル的に扱われていたので、カレーを配る時も、上級生は俺じゃなく、不二が良いとリクエストした。
「フジコちゃんから貰いたいな~」
フジコちゃんと言うのは、不二の幼稚園の時からのあだ名だそうで、不二はそう呼ばれる度に、心の中でもの凄く怒っていた。
不二はある程度社会性があるので、上級生に対しては大人しくしているので、笑顔でカレーライスの皿を、先輩に渡した後、テーブル越しで見えないことをイイコトに、俺の足を思い っきり踏んだ。
「いてっっ!!」
と俺が思わず痛みに声をあげると。
「あっ、ごめん。当たっちゃった」
とにっこりと笑顔を作って感じよく言った。

 

 二年生の春、俺がコートの片付けなどをして、遅く部室に着替えに戻ると、不二がいきなり、俺に抱きついて来た。
そして、あらぬ方を向いたまま、
「僕、手塚とつきあってるんで!!」
と言った。視線の先にはあまりテニスが上手くなくて、レギュラーじゃないけど、先輩風を吹かすのであまり後輩受けの良くない三年生の先輩がいた。彼は普段から、不二がとてもお 気に入りで、練習を不二に手伝わせてばかりいた。
俺は突然のことに、何が始まったのか、何が始まっているのか分からなくて、呆然としていると、
「だから、先輩とはつきあえません」
と不二はその先輩に向かって言った。俺はどうもとんでもない場面に出くわした上、巻き込まれてしまったらしい。
「嘘つけ!!じゃあつきあってるって証拠見せろよ!!」
と先輩が言った。次の瞬間、不二は俺の首に抱きつき、キスをした。俺の頭は真っ白になった。
「くそっっ!!」
先輩は捨て台詞を吐いて、部室を出て行く。
不二はその足音が去ってからため息をつく。
そうして、俺に向かって笑顔を作って
「ごめん。寸止めにするつもりだったんだけど、当たっちゃった」
と軽く言った。"当たっちゃった"なんて、そんなのあるか?
「いやぁ、ほんとしつこくってさぁ!!つきあってる人がいなかったら俺とつきあえって、ストーカーされちゃって。
つきあってる人がいるからって嘘ついたんだけど、それは誰だって詰め寄るから。丁度手塚がきたから巻き込んじゃった。ごめんね」
と不二はへらっと笑って言った。俺は怒っていいのか、嘆けばいいのか、もう分からなくて、とりあえず大きくため息をついた。

 その後、不二にふられたその先輩は、俺と不二はできている、部室でキスやそれ以上のことをしているのを見たという噂を部内に流し、その噂は、学校中に広まり、皆がそれをあっさ りと信じてしまった。
だって、相手は不二なんだから。そりゃ在り得る話だよね、と。
俺達は公認のカップルとして、男子からは色々言われ、女子からはキャーキャー言われ、二年生のバレンタインは、俺達には一つもチョコレートが届かなかった。女子は「不二くんに 悪いから今年はチョコレートあげるのはやめとくね!!」とわざわざ俺に言いに来て、奇声を上げて去って行った。

「フラれたからって、告白した相手のそんな噂流すなんてほんとサイテーな男。ホモはお前だっつーの」
というのが不二の感想だった。
「ごめんね。手塚。巻き込んじゃって。運悪かったね」
不二はへらっと笑って、俺にそう謝った。
ファーストキスを不二に奪われた上、ホモだという噂を流され、暗い中学生生活を送る羽目になったのに、「運が悪い」で済まされてたまるか!!!
でも不二に睨まれるのは怖いので、俺は心の中でそう思うだけで、不二に抗議はできなかった。
それから不二は、多少俺に申し訳ないと思ったのか少しだけ優しくなった。少なくとも、意味もなく、日常的に睨まれることはなくなった。
どうしても用事があって、俺と不二が顔を合わせているだけで、外野はぎゃーきゃーぎゃーぎゃー言った。それで俺は少しだけ、不二が嫌がる気持ちが分かった。

 三年生になり、不二の背も随分伸び体格も良くなり、オンナノコのものそのものだった声も声変わりして中性的なものに変わった。もう不二を見て、オンナノコと間違える人はそんな にいないだろう。
不二もそれでストレスが溜まることがなくなったのか、俺に当たることも少なくなって行った。相変わらず、皆は不二と俺が付き合っていると信じているみたいだけど。

 

 

 でも、そんなことは今更だし。一体俺は何をしたんだろう。今日の不二の機嫌の悪さはタダゴトではない。明らかに、俺に対して怒っている……。
不二がロッカーや荷物を派手な音を立てて開けたり、締めたり、着替えたりしている。こういう行動を取る時の不二は、俺に当たろうと俺の隙を狙っている。

「どこが良かったの?」
不二が口を開く。俺は突然声を掛けられてびくっとする。
「なっ……なにが………?」
「彼女だよ」
「彼女?」
「君のクラスの学級委員のオンナノコ」
俺はそう言われて、髪の長いクラスメートの一人の顔を思い出した。
「学級委員を選んだのは、俺じゃないが…」
質問の意味が良く分からないまま、そう答えると、不二は額に皺を寄せて、馬鹿にした口調で「はぁ?」と聞き返す。
「しらばっくれなくても良いよ。知ってるんだから」
「何の話だ?」
「彼女、結構可愛いもんね。髪が長くて、頭も良いし。手塚ってあーいうタイプが好みなんだぁ?」
「さっきから何言ってるんだか、さっぱり分からないんだが………」
「だから、隠さなくてもいいって。つきあってるんだろ?彼女と」
「は~?」
俺は全く身の覚えのない話に思わず声をあげた。
「クラス委員の仕事でたまに口は利くが……、本当にそれだけだ。そんな噂が立ってるのか?」
「噂って。彼女自身が、手塚に告白されて付き合うことになったって言ってるって。先週の日曜日にはお台場にデートに行ったって聞いたよ!!」
「なんだそりゃ……」
「昼にはイタリア料理のランチ食べて、雑貨屋でバレッタを買ってもらったって、見せびらかしてるって!!そんで家まで送ってもらったって、手塚はとっても優しかったって言ってるっ てよ!!」
不二がムキになって言う。
「そんなの全部、デマだ。しかし………」
「なんだよ?」
「詳しいな。不二」
「今日、僕の所に、手塚は僕をふって彼女に乗り換えたんだってねって、カワイソウにね、とか元気だしてね、とか、本当の所どうなの?とか、次々と人が来たんだよ!!!56人も!!!」
あー、それで機嫌が悪いのかぁ……、と納得した。
「最初っから、つきあってないって何度も言ってるのに、不二くんのが可愛いのに手塚は見る目がないだけだよ、とか、ヤケ食いするならつきあうよ、だとか、元気だしてね、不二く んの味方だから、とか、まだ不二くんにもチャンスあると思うから奪い返しちゃえだとか、次から次へと女子がやってきて、ホントにもうお前らウルサイ~!!!!」
不二はそう叫んで、自分の荷物を床に叩きつけた。
俺はそれを見て、大きくため息をついた。
「分かった。俺も何か聞かれたら否定しておくから」
「否定したって誰も信じてくれないよ!!!どうせまた元サヤに戻ったとか言われるだけだよ。
大体ね、君も素行には気をつけたらどう?火のない所には煙が立たないって言うだろ?君のクラスのクラス委員のあの女子、本当にそんな嘘をついてるんだとしたら、どっかおかしい んじゃないの? 君も近づかない方がいいよ!!!」
不二は俺に詰め寄って、立て続けにそう怒鳴った。
俺は何だか、ヤキモチを焼いてるみたいだなぁ……と思ったので。
「なんだかヤキモチみたいだな…」
と呟いてしまった。それを聞いて、不二の目も肩も一挙に吊り上る。
「誰がお前なんかにヤキモチ焼くか馬鹿!!!!」
不二が俺の耳を抓んで引っ張って、耳元で思いっきり怒鳴る。頭が痛い。キーンと響く。

 バーンと派手な音を立てて、扉を閉めて不二が出て行く。
俺は、最悪のタイミングで、言ってはいけない一言を不二に言ってしまい、怒らせてしまうのだ。
俺は深くため息をつく。暫く不二の機嫌は直らないだろう。また怖い思いをするのかと心の底からうんざりして、頭を抱えた。
やれやれ。 

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