+ラジオ・ミックスジュース+

 

 昼放課、僕の教室まで乾がやってきた。
部活以外で僕達が顔を合わせるのは初めてだった。
「ラジオが聞けるようになった」
「ほんと?」
僕が興奮したように、声を高くしてそう言うと、少しだけ乾は得意げに胸を張ったように見えた。
「今度、見に行っても良い?」
「ああ」
乾が当然のように頷く。

「これなに?」
「ラジオ」
その日、部活の後に乾の家に行ったら、図画工作で作るような大きな針金の輪とと割り箸で作ったようなでかい工作物があった。
「なにこれ」
「ラジオ」
「これがラジオ?」
「鉱石ラジオ」
乾がイヤホンを僕に渡す。耳につけると確かに音楽が聞こえる。
「ほんとだ!!!聞こえる!!!すごーい!!!」
僕が派手に驚くと、乾が胸を張る。
「これが、低電圧で動くラジオ?」
「いや、電気が要らないんだ」
「電気が要らない?」
「放送電波から供給される電気だけで作動するラジオなんだ」
乾は得意げだ。
ラジオを聞くのが目的じゃなくて、災害時に無線機を動かすための電気を作る研究をしてたんじゃないのか? と僕は根源的なことを思ったが、水を差すのもアレなので黙っていた。
「凄いね。どんなラジオでも入るの?」
「周波数の関係で、AM局しか入らない」
AM局?
僕は考えてみると、車の中でしかラジオを聞いたことがなかった。僕の持ってるMDラジカセは、確かラジオを聞く機能がついていたけど。
健全な現代っ子スポーツ少年は、夜中にラジオを聞いたりはしないのだ。
「ここの、ゲルマニゥム・ダイオードがな……」
乾が回路図を持ち出して何故ラジオが聞こえるのかの説明を始める。
またダイオード………。ダイオードって、何だ?
「これがアンテナ?」
大きな丸い輪を指差す。
「そうだ。手巻きアンテナ・コイルの原料は、0.6φのエナメル線で……」
乾の説明はいちいち長い。
「凄いねー。でも、これ、ちょっと大きいかもね。災害時に持ち出すには」
「軽量化がこれからの課題だ」
「頑張ってね」
でも、災害時にラジオなんか放送してるんだろうか?とふと思った。( ※してる。)
イヤホンから、ラジオのDJの男女の話し声が聞こえた。
あんまりちゃんと聞いたことがなかったけれど、ラジオってちょっとオモシロイかも、と思った。
「面白いね。ラジオって。あんまり聞いたことがなかったけど。
乾はこれでラジオ聞いた?」
「昨日、夜中の三時までこれでラジオを聞いていた」
よく見ると乾の目の下には「くま」が出来ていた。
僕はおかしくてぶっと吹き出す。
「ラジオが出来たのが嬉しくて?」
と僕が聞くと、
「その通り」
と平坦な声で照れた様子もなく答えた。

 僕はその夜、初めて自分の部屋でラジオをつけてみた。
近くに高い建物があるので、プツプツとたまに雑音が入る。
まともに聞こうと思ってラジオなんか聞いたことないのに、なんだかとても、懐かしい何時か聞いたような音がした。 

 

「あ、俺はここで」
学校からの帰り道、また乾がスーパーの前で立ち止まる。
僕はそれだけのことなのに、なんだかおかしくて、ぶっと噴き出してしまう。
「今日は何を買うの?」
「野菜」
「料理に使うの?」
「最近、野菜ジュースつくりに凝ってるんだ。押入れの奥からミキサーが見つかったから。
やはり、俺の食生活は炭水化物に偏っているからな。いくら牛乳を沢山飲んでも、育ち盛りにはバランスよく、野菜を摂取しないと」
乾がスーパーの中に入っていくのに、面白がってついていく。
「今週の特集は、モロヘイヤの特集だったので、モロヘイヤの特売をしている確率80%……」
乾がぶつぶつ呟く。
「なにそれ?」
「あるある大辞典」
「テレビ番組?」
「あれで、特集されると翌日にはその商品がスーパーで山積みにされているんだ」
「ふーん。そういう番組よく見るの?」
「欠かさずビデオに撮って、俺用大辞典ノートを作っている」
乾が真顔で答える。
相変わらずオモシロイ奴……。

「あった」
「あ、ほんとだー。あるある大辞典でも紹介されたってちゃんと書いてあるー。しかも山積みだ~。凄いねー」
「どんなジュースにモロヘイヤを使うの?」
「朝ご飯用に、バナナジュースにモロヘイヤを入れてみようか、と」
「ふーん。なんか、美味しそうだね」
「今度、飲みにくれば良い」
「ほんと?またお邪魔しようかな」
乾は、スポーツバックを背負って、スーパーのビニール袋を腕に掛けて帰って行った。
乾のひょろっとした風貌に意外にスーパーのビニール袋がよく似合う。

 

 翌日、乾が僕の教室までやってきて、
「少しだけ研究が進んだ」
と言った。
「え?ほんと?ラジオ小さくなったの?」
「ふふふ、見てのお楽しみだ」
あっ、乾が笑った。
「じゃあ、今日、部活の後、行っても良い?」
「勿論」
なんだか乾はちょっと嬉しそうだった。

「ちょっと良いか?」
帰り、またスーパーの前で乾が立ち止まる。
「うん」
「ついでだから、モロヘイヤジュースを作ってやる」
「ありがとー。でも家の近所にもスーパーあるでしょ?家の近くのスーパーにはあまり行かないの?」
「このスーパーのが安くて品揃えが良いんだ。さすがディスカウント・スーパー」
ディスカウント・スーパー?
「そういえば、食費っていつもどうしてるの?」
「親から貰ってる」
そりゃそうだ。
「乾ってちゃんと家計簿とかつけてそ~」
レシートをきっちり貰う乾を見て、僕は冗談でそう言う。
「つけてる」
「えっ?ホントにつけてるの?」
家計簿をつける中学生。
やっぱり、タダモノじゃない。

 

 ガーッ、と古いミキサーが回るのを見ているとオモシロイ。
「随分古いミキサーだね」
「押し入れの奥の方にあった」
「乾の家って機械が多いけど、結構古い機械が多いよね」
「うちの親は、何でも一番最初に出た時に面白がって買うんだ。そして、壊れても自分で直して何時までも使う」
…………なるほど。

「ん。美味しい」
バナナ・モロヘイヤジュースは後味がちょっと癖のある野菜の味だった。
「それは良かった」
乾はちょっと嬉しそうにそう言った。
僕の母さんも姉さんも、美容と健康のためとか言って、野菜ジュースに凝っているので、子供の頃からよく飲まされたから僕は平気だけど、野菜嫌いの子も多いから、これが駄目な子も多いだろうなぁと思った。

 これが後に乾と言えば「汁」と言われる体に良いけど、不味くて有名な野菜ジュース(汁)の始まりだった。体にいいから、とレモンの蜂蜜漬けを皆のために作って、配っていたあたりは、皆に喜ばれていたんだけど。少しずつ、それがエスカレートして、皆が嫌がる姿に、彼は快感を覚えるようになって行くのである。

 

「そういえば、実験は?」
「そうそう」
乾が2階に上がっていくのについていく。
乾がごそごそと何か準備する。
液体の入ったビーカーに金属片を差込み、配線をつなぐ。
乾が部屋の電気を消す。配線の先で赤く発光ダイオードが光っていた。
「あっ、光ってる、すごーい!!!なに?その液体」
「酢だ」
「酢?」
「酢でもレモンと同じように、電気が作れるということが判明した」
「へーっっっ」
「暖めると、電圧も上がる。これから、林檎酢とか黒酢とか、薄めてみて濃度による違いなど、色々試してみるつもりだ」
「ふーん」
部屋の電気を再び点ける。乾が階段を下りていくのを、後ろから点いていく。
「腹は減らないか?」
「え?ああ、うん。部活の後、何にも食べてないしね」
乾が冷蔵庫を開けて、何か大きなたタッパーを出す。
「実験のために買った酢の瓶のラベルにレシピが点いていたので、CMに出てくる鶏のさっぱり煮を作ってみた」
「ああ、あのCMの奴?すごーい」
「ゆで卵が丸ごと入っているのがポイントだ」
乾が電子レンジにタッパーを放り込む。
「材料費は354円50銭」
乾は得意げだが、それが安いのか高いのかは料理をしない僕には分からない。でも、50銭? 銭?
「米も食うよな」
冷凍庫から何か小分けのタッパーを出す。
「それ、ご飯?冷凍してあるの?ご飯って冷凍なんかできるの?」
「週末にまとめて炊いて、まとめて冷凍するのは、共働き家庭の基本だ」
「そーなの?」
乾は僕の知らない、色々なことを知っている。

 インスタントの味噌汁と、電子レンジで暖めた冷凍ご飯と、乾の作った鶏のさっぱり煮が食卓に並べられる。
「一汁一菜で申し訳ないが」
「すごーい。あ、美味しい。冷凍されてたご飯って、わかんないね。炊きたてみたい!!!」
僕は美味しい美味しいと言って食べる。本当に美味しかった。というか、楽しかった。
「牛乳飲むか?」
「また牛乳? 乾、何でも牛乳と一緒に食べるの?」
「寿司でも牛乳と一緒に食べる」
「きっ、気持ちわるーっっっ!!!」

 ちなみにこれが、乾が後に「酢」に異様にコダワルにいたる、全ての始まりだった。

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