+サワー・ジャム+


 僕は親がテニスを趣味にしている関係で、物心ついた時からテニスをやっていたので(そしてなかなか才能もある。)、同年代の子にはほとんど試合で負けたことがない。
負けず嫌いなので、今まで人と比べて努力をしてこなかった訳ではないのだけれど、テニスは楽しむもの、というイメージが強いので、どうも自分にスパルタにはなれない。
僕はどちらかというと、人前で「努力してます」という姿を見せるのは、カッコ悪いと感じてしまうタイプだ。やはりいかなる時も何処かでスマートでありたいと思う。
だから乾が、そーいう奴なのだということは知っていても、体育会系の部活に、マネージャーでもないのに、ノートやら、デジカメやら、マイストップウォッチやらを持ち込むのは、そこまでやるか?と思ってしまう。
強くなりたいなら、人の試合を見ろというのは、良くコーチにも言われることだ。僕も、上手いと思った子のフォームや試合は、見てないフリしてよく見てるけど。
でも頼んでもないのに、細かくタイムを計られたり、許可を取って貰ってないのに、デジタルカメラで追いまわされたり、いちいちメモを取られたりするのはそんなに気分良くはないんだよね。しかも絶対、そのノートを僕には見せてくんないし。

 乾は基本的には、根が親切だから、データを集めるだけじゃなくて、

「もう2度肘を下げた方が良い」

 なんてアドバイスしてくれるけれど。(でも2度……?)

 でもやっぱりあまり気分が良くないから、僕はあるコースでワザと空振りして見せたり、ワザと弱点を作って見せたり、間違ったデータを取らせておいて。
乾との練習試合では、コテンパンにやっつけてやったりする。
まだ僕は一度も乾に、テニスで負けたことはない。

「最近、疲れてるな」
部活中に突然、そう言われた。
「え?そう?」
そりゃ勿論、部活で走り回って、それ相応に疲れているとは思うけど。
「最近、ダッシュが遅い。0.5秒ほど立ち上がりが遅れている。肘が下がっている。肩が上がっていない」
うんぬん、かんぬん。
乾はデータを並べて、僕の蓄積された疲労とやらを証明してみせる。
「そんな不二のために、ぜひ見せたいものがある」
乾が得意げに言う。
なんだ、また僕に見せたいものがあるんだ。
「なに?電池?それとも、ラジオ?」
「不二の喜ぶものだ」
「僕の喜ぶもの?」
それ以上聞いても、乾は意味ありげに笑ってみせるだけで、答えない。
見て貰いたいなら、そうお願いすればいいのに。仕方ないから見に行ってやるか。

 乾の家につくと、乾がまっすぐ台所に直行する。
台所の床を開けて(そこは貯蔵庫になっているらしい。)、次々とカラフルな瓶を出す。
イチゴやオレンジ、桃にキューイ、プルーン。フルーツが瓶の中で液体に漬けられている。
「わーっ。綺麗!!!これ、お酒?梅酒みたいな?」
おばあちゃんの家で、おばあちゃんの手作りの梅酒の瓶を見たことがある。少しだけ飲ませて貰った。甘くて美味しかった。
僕は色とりどりの瓶を見て、それを思い出した。
「似たようなものだな」
「じゃあなに?」
「サワードリンクだ」
「サワードリンク?」
「酢だ」
「酢?」
また酢かよ!!!
「全然お酒と違うじゃん!!!」
「酢はビネガーというだろう?
それはフランス語で、酸っぱいワインという意味だ。
アルコールが発酵したものが酢だ」
「………ふーん」
「酢は疲労回復にいいんだ」
乾がウキウキと、綺麗な瓶を次々とテーブルに並べる。でも蓋を開けると当たり前だけどキツイ酢の匂いがする。
「やっと完成したんだ」
「ふーん」
乾がフルーツを掬い出す。そして、瓶に、「イチゴ」とか「キューイ」とか名前を書いていく。

「試飲会だ」
「え?乾も飲むの初めてなの?」
ど、どんな味がするんだろう……。
氷を入れたグラスやコップに少しずつ入れて、水で薄めて机に並べていく。
「これがプルーン。鉄分が豊富なので、夏に向けてオススメの一品だ」
グラスを一つ渡される。
「ありがとう」
控えめに僕はお礼を言う。
「乾杯」
「………乾杯」
ガラスのグラスと陶器で出来たマグカップをぶつけると変な音がする。
恐る恐る飲んでみると、あっさりした味で、でも微かにプルーンのコクがあって、思ったより美味しかった。
「結構、美味しい」
「イチゴもイケルぞ」
「ほんと?あ、ほんとだ」
次々とサワードリンクを回し飲みする。
「牛乳を入れるとヨーグルト風ドリンクになるらしい」
「また牛乳?」

 僕が次々と味見して、すっぱいとか甘いとか、色々感想を述べたりしていると、乾が僕と話をしながら、冷蔵庫にくっついた磁石式フックに引っ掛かっていたノートを取ってきて開いて、財布の中からレシートを出して、何かメモをつけ始めた。
「なにそれ」
「家計簿。前につけてるって言ったろ?忘れる前にと思ってな」
「ああ、 それ」
「親との連絡帳ノートなんだけどな。
これにレシートを貼って、使用用途なんかを書いておくと、後で親が見て食費をくれる」
「なるほどねー」
ちょっと覗き込むと、ノートにはぎっしり日常連絡を含めて、色々なことが書き込まれていた。
ぱっと見ただけだけど、かなり細かいことまで書き込まれていた。他店よりいくら安いとか、その材料で何を作ったか、その料理に結局合計幾ら掛かったのかであるとか。
乾が珍しく恥ずかしそうにして、そのノートを後ろに隠した。
「いつからそーいうノートつけてるの?」
「文字が書けるようになってからだな」
「そんな昔から?」
「うちの親はずっと共働きで帰りが遅いからな。なかなか顔を合わす機会がないから」
乾は何でもないことのようにそう言った。
乾の何でもノートに細かく書き込む性分が、ここから始まっていたのか、と思うと、ちょっとしんみりする。
より安くとか、より栄養がある、とかいう発言も、きっと親の気を引いたり、誉めて貰ったりするために始まったんだ、きっと。
僕は割と裕福な家で手をかけてもらって育ってきた自覚があるので、何となくこーいう話に弱い。

 「メシにしようメシに」
「え?」
「最近、電子レンジだけで作れる料理に凝ってるんだ」
「ふーん」
「玉ねぎ食べれるよな?」
「うん」
乾が立ち上がる。何かを電子レンジに放り込む。玉ねぎをむいて、スライスカッターで薄くスライスする。
「何か手伝おうか?」
「いい。大した物じゃないから」

「電子レンジで料理を作ると、レンジが一つしかないから、タイムラグが出るのが問題だな……」
乾がぶつぶつ呟く。
次々と順番に食べ物が出てくる。
メニューは、電子レンジで作った山盛り温野菜と、電子レンジで作った豚シャブのオニオンスライス添えと、電子レンジで暖めたご飯と、インスタントのお吸い物だった。
「電子レンジで調理すると豚肉のビタミンB1が壊れにくい。 野菜も茹でるとお湯にビタミンが流れてしまうが、電子レンジで調理するとそれが半分くらいに押さえられる」
「ふーん」
「そして豚肉と玉ねぎを一緒に食べると、硫化アリルという成分がビタミンB1の吸収を高めてくれる。玉ねぎは特に生がいいんだ。硫化アリルは熱に弱い」
「良く知ってるね」
「テレビで見た」
またあるある大辞典か……。
なんだかその日のご飯は酸っぱい気がした。
「なんだかこのご飯、ちょっと酸っぱい」
「酢を入れて炊いてみた」
また酢か!!!
「米を炊くのに使えば腐敗の進行が押さえられるし、料理に使えば、食塩を押さえられるんだ。実は、料理にも、隠し味で酢が使ってある。
生玉ねぎの辛味を酢が押さえてくれる。酢のお陰で生玉ねぎがサラダのように食べられる」
「ふーん……」
「マヨネーズも酢と新鮮な卵で手作りした。これで後は、牛乳と一緒に食べれば完璧。疲れなんか吹き飛ぶぞ」
「もー、また牛乳?」

 

「ジャムを作った」
数日後、乾に綺麗な小さな瓶に入ったジャムを貰った。
「すごーい!!!綺麗!!!もらっていいの?」
「ああ」
「今度はジャム作りに凝ってるの?」
「違う。サワードリンクを作るのに使って、取り出した後の果物でジャムを作ったんだ」
「え?」
僕は瓶の中で酢の中に沈んでいたあのふやけた果物を思い出す。
「す、酸っぱくないの?」
思わずくんくんと瓶の匂いを嗅ぐ。
「大丈夫だ。多分、体にいい」
「味のことを聞いてんの!!!体にいいとか悪いとかじゃなくて!!!」

 恐る恐る食べてみたんだけど、ジャムはちゃんと美味しかった。
甘すぎない手作りジャムは家族に好評で、すぐになくなった。



next