+異文化コミュニケーション+


 まだ三年生の来ないテニス部仮入部のコートで、自由にフリーで打たせてもらっていて、小学校が同じ友達とボールを打ち損なう度に、「ガッデム!!」とか「アンビリバボー!!」とかラケットを握るとテンションが上がる俺がいつものように騒いでいたら、いきなり背中を叩かれた。
 振り向くと茶色の髪に茶色の目の日本人離れした小さな子が、俺の腕を握り締めて見上げていた。
「××××××××××」
 嬉しそうに何かを話しかけているが、何を言っているのか分からない。単語の端々でかろうじて英語なのだということが分かるだけだ。
「はぁ?」
 俺が怪訝な顔で聞き返すと、はっと何かに気づいたような顔をして、悲しそうな顔をして。
「あ、ごめんね……」
 と言った。困ってしまって俺が頭を掻いていると。
「英語、出来るのかと思っちゃって……」
「そんな、俺、発音良かった?」
 ラケットを握っていると俄然、お調子者の俺が調子に乗ってそう聞くと、奴はにっこり笑って、
「南部の人かと思った」
 と言った。それって訛ってるってことじゃんよ?
「アメリカにいたの?」
「うん。ずっと」
「ずっと?」
「生まれてからずっとアメリカにいたの。一ヶ月前、日本に帰ってきたの」
「帰国子女って奴?」
 そこで、友人が口を挟む。
「帰国子女?」
「海外にいて帰ってきた子供のこと」
「ふーん。お前、名前は?」
「不二……」
「じゃあ、あだ名はフジコちゃんだな。フ~ジコちゃ~ん!!」
 俺が、大好きなアニメの真似をしてそう言うと、周りが笑う。でも不二はきょとんとした顔をしている。
「フジコちゃんだよ。知らない?」
「なにそれ?」
「アニメだよ。テレビアニメ!!!見たことないの?」
「見たことない」
 そこで集まってきた皆がわいわいとこれ知ってる?これ知ってる?と問い掛けた。でも不二は何にも知らなかった。俺達が見た漫画も、アニメも、夢中になったゲームも、全部。
「え?ジャンプも見たことないの?
 ふるえるぞハート!燃えつきるほどヒート!!」
 カッコつけてそう言うと、周りの皆がげらげら笑う。不二は相変わらず何故、皆が笑うのか分からずにきょとんとしている。俺の家は商売をしているから、昔からお客さん用に漫画雑誌があった。
 両親が働いているので忙しく、俺はそれらの漫画雑誌とテレビを見て育ったのだ。
「じゃあ、見せてやるよ。俺んちいっぱいあるから。今度、遊びに来いよ」
「え?遊びに行っても良いの?」
 不二の目がキラキラ輝いた。
「お前、寿司って食ったことあるか?」
「寿司?」
「河村んちは寿司屋なんだよ」
「スシバー、行ったことあるよ!!!回るのも!!!」
「回る奴なんか邪道だよ!!!」
 不二は何だか凄く嬉しそうだった。それで俺はちょっとだけ、この一風変わった同級生に親切にしたくなったのだ。

「どうやって読むの?」
渡された漫画本を逆から開いて不二はそう聞いた。
「アメリカにはないの?漫画本」
「あるけど…、大人が読むもの」
「大人が読む?」
「絵が怖いんだ」
そう言って、不二は綺麗な眉をひそめて見せた。
「日本の漫画はアメリカでも人気があるみたいだけど。高いから買って貰えなかった」
「ふーん……」
「で、どう読むの、これ?」
「開きが逆だよ。こっちから」
「で、これどういう順番に読むの?」
「こういう順番」
コマを順番に指差す。
「ふーん」
頷きながら、不二は読み入ってしまって黙り込む。
「………面白い?」
「え……?あ、うん」
夢中になっていて俺の声に気づかない。
「あ、いいよ。読んでて。俺、ゲームやってるから。ここに並んでる漫画は好きに読んでいいから」
「ありがとう!!!」
俺はせっせとやりかけのRPGゲームのキャラクターのレベル上げをして、不二は真剣に漫画を読んでいた。たまに吹き出してけらけら笑って、そして恥ずかしがって、赤くなって「ごめん」と言った。
「いいよ、別に。どこがそんなに面白かったんだ?」
「あのね、ここ」
そう言って、不二が指差す所は、少年漫画の汗くさいキャラのくそ真面目な顔だったりして、
「面白いよね!!!この顔!!!」
不二はそう言って、本当におかしそうに笑うんだけど、俺にはそれの何がそんなに面白いのか分からなくて。とりあえず不二は本当に不思議な奴だ、と思った。

「わっ、こんな時間!!!こんなに遅くまでごめんね」
俺はだらだらレベル上げしていて、不二は漫画に夢中になっていて日が暮れたことに気づかなかった。
「いいよ、別に。そうだ、飯食ってく?」
「メシ?」
「ご飯のこと」
「そんな、悪いよ!!!」
「いいんだ。うちの家では、初めてきた友達には必ずうちの寿司をご馳走することになってるんだ。ついてこいよ」
不二はおそるおそるついてくる。階段を下りて、裏口から店に入る。
「よぉ、隆!! なんだ?ガールフレンドか? 母さん!!! 隆が女の子を連れてきたぞ!!!」
「違うよ親父!!! 不二は男だよ!!!!ごめんな、不二!!!」
「なになに女の子?まぁ!!やるじゃない隆!!!」
裏で調理をしていた母さんまで顔を出す。
「だから違うって。同じ部活の不二周助!!!男だよ!!!」
「はじめまして」
不二はそう言ってにっこり笑った。
「な、なんだ。ヌカ喜びしちまったぜ」
「親父!!!」
「すまないね。不二くん、だっけ?」
「ごめんな、不二。悪く思わないでくれよ」
「ううん。慣れてるから。よく間違えられるの」
そう言って不二はにっこり笑うので拍子抜けする。
「不二ってさ、口調もなんか女みたいだよな……」
「日本語…母さんに習ったから」
不二はそうちょっと恥ずかしそうに言った。
「髪茶色いのって、ハーフだったりするの?」
「クォーター。おばあちゃんがフランス人なの」
「おフランス!!!この子は外人さんかい?」
「親父は黙ってて!!! 不二は生まれてからずっとアメリカで暮らしてて、日本に帰ってきてまだ間もないんだって。
まともな寿司を食べたことがないらしいんだ。食べさせてやってくれよ」
「そ、そんないいよ」
「そういうことか。じゃあ本物の寿司を食べるのは、うちの寿司が初めてってことなんだな。そういうことなら、どんと任せろ。初めての寿司がまずくて、寿司嫌いになってもらっちゃ困るからな!!! まぁ遠慮せずに座りな!!!」
そう言って、親父が不二の前に熱いお茶を入れた大きな湯のみをどんと置く。
俺は不二の肩を掴んでカウンターに座らせる。
「遠慮するなって」
「でも………」
「ほらよ」
そう言って、カウンターにまず魚のすり身の入った厚い親父自慢の卵焼きが置かれる。
「良いから食べなって、美味いから」
「じゃあ…その、イタダキマス。あ、美味し~い!!!」
一口食べて不二がにっこり笑う。不二の笑顔は華がある。親父も思わずそれに見入って、一瞬ぼんやりした後、急に嬉しそうになる。
「そんな嬉しそうに食べてくれると、こっちも嬉しくなるねぇ!!! じゃんじゃん出すからよ。好きなの言ってくんな」
嬉しそうに親父が寿司を握る。カウンターに白身の魚が一貫ずつ並ぶ。
不二が皿に大量にわさびを溶かす。
「そ、そんな入れたら辛いよ!!!」
「え?アメリカじゃ、みんな、こうして食べてたよ」
不二はそう言って、普通の顔で、箸でカウンターから寿司を取って、わさび色になった醤油をたっぷりつけて、口に運んだ。
「美味し~い!!!」
不二は顔色一つ変えずに笑顔で食べている。親父も呆気に取られている。
「そう。う、美味いなら良かったけど」
「このワサビも美味しい」
「ワサビの味もわかるのかい?うちのワサビは本場から取り寄せた生ワサビでね!!!」
「ふ~ん。ワサビって……木の実なんですか?胡椒みたいな」
「違う違う。これだよ、これ」
おろす前の生ワサビを冷蔵庫から出して見せる。
「初めて見た!!わさびって野菜だったんだ!!!」
不二が目をキラキラさせて喜んでいる。
「まぁ、とりあえず。何が良い?何でも握るよ?好きなネタはなんだい?」
「カリフォルニアロール!!」
「かりふぉるにあろーる?」
横文字がさっぱりの下町の超江戸っ子の親父が怪訝な顔で聞き返す。
「そんなものは日本にないよ!!!」
「そうなの? 好きなのは、ワサビ、ガリ、アボガド!!!」
「あぼがど?向こうにゃそんなネタがあるのかい?」
「美味しいよ!!」
不二の笑顔に毒気を抜かれて、親父がうーんとうなる。俺は、横からカウンターの寿司をつまんで食べた。
「あ、手で食べた!!!」
不二がそれを見て驚いた顔をする。
「本来、寿司は手でつまんで食べるもんだぜ」
「そうなの?」
不二は怪訝な顔で、自分も寿司をつまんで食べる。
「美味しい~!!!」
「そうか、美味いか。良かった良かった!!!」
親父がつられてにこにこ笑う。母さんが吸い物を持ってくる。
「ありがとうございます」
とにっこり笑って、不二が受け取る。
「いっぱい食べてね」
母さんもつられてにっこりする。不二は周りをにこにこさせる力があるみたいだ。
「あ、ちらし寿司は手で食べちゃ駄目だ!!!」
親父は他のお客さんをほったらかしで、目を輝かせてうんうん頷く不二に寿司のうんちくを語り、色々と細かく面倒を見ている。よほど不二が気に入ったようだ。

「またいらっしゃいね」
「またこいよ」
「本当にご馳走様でした」
不二がもう食べられないってくらい親父に食わされて、それでも笑顔でペコンと頭を下げる。
初めて来た道に自信がないというので、分かる所まで送って行く。不二と俺の家は自転車で行ける距離だった。自転車の後ろに不二を乗せて走る。不二の小さな手が俺の肩に掴まってる。
「本当にありがとう。楽しかった。漫画もいっぱい借りちゃったし」
「いいよ。別に。親父もお袋も不二が気に入ったみたいだし。また何時でも来いよ」
振り向くと不二はにっこり笑った。
「日本でね。初めて友達ができたから。嬉しい」
不二は本当に嬉しそうだった。俺と友達になれて、嬉しいなんて言ってくれたのは不二が初めてだったので、妙にドキドキした。
自転車の後ろに乗せた不二は物凄く軽かった。

 風変わりな不二は、皆にからかわれることが多かった。からかわれても、何をからかわれてるのか分からないから、不二はにこにこ笑っている。
嘘を教えられてもニコニコ笑っている。なんだかそういうのって、可哀相で、俺はなんだかんだ言って、不二の世話を焼く羽目になった。
「○○ってね、○○なんだって!!!」
不二は何か嘘を教えられる度に、わざわざ俺に教えにきた。凄くくだらないことでも。
「…………嘘だよ。そんなの」
俺がそう唇を尖らせて答えると、困ったように笑って、
「そうか~。嘘なんだ~」
とちょっと悲しそうに言った。
そういう時俺は、不二をからかった奴を思いっきり殴ってやりたい衝動にかられた。
テニス部の皆は、みんな不二がいい奴だと知っているから、全員で何かと不二を庇ってやっていた。そうして不二もすぐに色々なことを学んで、そんなに簡単に騙されることもなくなって、からかわれることも少なくなった。

 ある日、夕暮れの公園で不二を見かけた。不二は誰かと喧嘩していた。不二と同じ年くらいの髪の毛がツンツンの男子。
不二は物静かでいつもにっこり笑ってる印象があるのに、不二は何かをまくしたてていた。それは英語だったので何を言っているのか分からなかった。
ツンツンの頭した奴も、負けない勢いで何かを英語で言い返している。不二が涙ぐんでる。ツンツン頭が何か不二に向かって叫ぶと走って行った。残された不二は泣いた顔を押さえて俯いた。小さな背中が震えてる。

 見なかったことにしようかと思ったけれど、なんだかそれも出来なくてそっと近づいて不二の肩を叩いた。顔をあげた不二は慌てて涙をぬぐった。
「ご、ごめんね」
「何かあったのか?」
「ちょっと弟と喧嘩しちゃって」
そう言って不二は泣いた目で口元だけで微笑んだ。
「さっき……英語で怒鳴りあってるの聞こえた……」
「あ、ああ、うん。言いたいこと言えるの、弟だけなんだよね。
日本語って、聞くのは分かるんだけどすぐに言葉が出てこなくて。英語が通じるの今は弟だけだから、だからいつもつい言い過ぎて余計なこと言っちゃうんだよね」
最初、不二が嬉しそうな顔で、俺に英語で話し掛けてきたのを思い出した。
「ごめんな。俺、英語できないから、不二の言いたいこと分かってやれなくて」
なんだか申し訳なくなってそう謝った。
「え?ううん。タカさんが悪いんじゃないから」
そう言って、不二はぶんぶん首を振った。
「日本語で良ければ、俺聞くから」
「え?」
「不二は日本語だとまどろっこしいかもしれないけど、でも俺、時間掛かっても不二の話、ちゃんと聞くから。ほら、俺達友達だろ?」
そう言ったら、不二はとても嬉しそうな顔をして俺にしがみつくように抱きついて、「ありがとう!!嬉しい!!!」と言って、俺の頬にキスをした。
不二の髪が頬に当たってくすぐったい。不二は柔らかくていい匂いがする。すべすべの不二のほっぺた、俺の頬にばっちりくっついてる。俺は混乱し、頭がカーッッ!!!と熱くなる。
「あっ!!!ごめん!!!ついアメリカにいる時の癖で!!!」
不二はそう言って、慌てて体を離した。
「ご、ごめんね。嬉しくてつい。日本じゃハグなんてしないよね!!! 僕、変な奴かもしんないけど、嫌わないで。友達でいてね」
不二が必死で訴える。
「あ、ああ」
「良かった~」
不二がほっとした顔でにっこり笑う。思わずその笑顔にドキンとする。
なんか、この胸のドキドキは変だ。

 

 後日、不二が「フジコちゃん」を見てみたいというので、俺と不二は待ち合わせしてアニメ映画を見に行くことになった。不二は何もかもが初めてで、嬉しそうにきょろきょろしていた。
「向こうじゃ、子供だけで外出なんか出来ないから」
「そうなんだ?」
「何処へ行くのもお母さんと一緒なの。いろいろ危ないから」
「ふーん。あ、そっちじゃないこっち!!!」
不二が逆方向に行こうとするのを、肩を捕まえる。
「ごめんね」
「いや、いいけど……」
いいけど、手が掛かる。
「これからはタカさんが一緒だから安心だね」
そう言って、不二はにっこり笑った。
「はは………」
俺は否定する訳にも行かなくて、困ったように笑う。な、なんだか複雑な気持ちだ………。

 アクションアニメ映画は不二のお気に召したようで、映画が終わった後の不二は目をキラキラさせていた。不二は相変わらず人と違う所で笑った。ちょっと恥ずかしかった。
「すっごく面白かった!!!」
「そ、そうか。良かった」
「日本人から見るアメリカって、あんななんだーって、すっごく変で面白い!!!」
「そ、そんなもん?」
だから人と違う所で笑ってたのか……、と納得した。ハリウッド映画に出てくる日本人が大抵変なのと似てるのかな……。
「でも、フジコちゃんは僕に全然似てないね」
「そりゃそうだよ」
「あのね。面白かったから、弟にも見せてあげたい。これ何時までやってる?」
「は?また同じ映画見に来るの?」
「一人でここまで来れるかなぁ……?」
不二が不安そうな顔で周りを見回しながら聞いた。俺の腕を掴んだまま。俺は溜息をついて、
「俺もつきあうよ……」
と答えた。
「ホントに?ありがとう!!!」
不二はそう言って、また俺にしがみついて、
「ああ、ごめん!!!」
と言って慌てて離れた。

 不二の人見知りの弟は、俺を睨むばかりで挨拶もしなかった。
「ごめんね。この子、人見知りで」
そう言った後に、不二は英語で何かを弟に話し掛ける。二言、三言英語で弟も返事をする。
訳が分からないけど、そのうち英語で喧嘩をはじめたので、俺は慌てて日本語で止める羽目になった。
「分かるの?この子、日本語」
「分かるよ。聞けるし、喋れる。でもよっぽどじゃないと日本語使わないの。ちょっとね。アメリカにホームシックになってて」
その言葉に対して、弟が何か英語で言い返す。不二も英語で言い返す。俺は慌てて間に入って二人を止める。
不二兄弟は、やっぱり人と違う所で笑うので、間に座った俺は恥ずかしかった。
映画の後で楽しそうに英語でマグカップなどのグッズを選んでいた。仲がいいんだか、悪いんだか。

 それから不二の弟は、よく不二について俺の家に来るようになった。二人で無言で漫画を読んでたまに笑ったりしている。
裕太はゲームが好きで、それが縁で俺にも少し懐いた。でも小学生だと、子供扱いして手加減すると泣いて怒った。
不二兄弟はハリウッド映画より日本のアニメがお気に入りで、中学生にもなったというのに、俺は漫画祭りの引率のお兄さんをさせられた。不二は弟がいると半分は英語を使うので、何を言っているのか分からない。
街で出会った、同級生に、「デートかよ」とからかわれたが、不二が手を引いてる弟を指差して、「引率だよ」と答えたら、苦笑いしていた。

 後日、先生からお前達は仲が良いみたいだから、ダブルスを組めと言われた。
不二は嬉しそうにニコニコしていた。